台風一過となったこの前の土曜日に私は一日を使って小さな旅をしました。
私が子どもの頃、暮らしていた家のとなりには、在日コリアンの家族が住ん
でいました。私の家族は9人家族、となりは6人家族で、子どもたちの年齢
はほぼ同じ年頃でした。
となりのコリアンのおとうさんの仕事は、私はなぜか知りませんでしたが、
お母さんは近くの鋳造工場の外にある砂捨て場に毎日出かけて、その砂の中
から鉄のカケラを拾って鉄くず屋に売りに行き、生活の費用をつくっていま
した。だから、どんなところに行くにもいつも腰からヒモをぶらさげてその
先につけた大きな磁石で小さな鉄くずを集めていたことも覚えているのです。
私の家族の中では、私が一番おとなりと仲が良くて、私は学校から帰るとそ
の家族のだれかといつも遊ぶようになっていました。その家ではハングル語
が半分、日本語が半分の会話をしていましたが、それはそれ、子ども同士の
話しは、日本語の不得意な長男が入ってこなければ、何とか私にも理解出来
るのでした。
週に一回ぐらい、私は隣の家でキムチのご飯を食べるようになっていました。
何かお祝い事がある時は、近所の在日コリアンの集りにいつもつれて行かれ
るまでになっていました。
その隣の家族には、私と同じ歳の女の子がいて、小学校に入学した時も一緒
のクラスになって、ここではじめて彼女は日本の名前をつけられました。
小学校の一年になったこの日の教室で、一人づつ先生に名前を呼ばれたら大
きな声で「ハイ!」と言いながら立つのですが、その女の子の順番がきたと
きに、先生はちょっと首を傾げながらぽつりと言ったのです。
「すんじゃん、では、おかしいよね!」
それまで彼女はみんなから、韓国の呼び名の、すんじゃんと呼ばれていたの
です。先生は3秒ぐらい考えて、彼女の日本の名前をつくってその場で発表
しました。その後、彼女とは中学卒業まで一緒の学校だったのですが、彼女
はその時、先生がつけた名前をそのまま使って行きました。ひょっとすると
あれから50年たった今も、彼女はその名前を使っているかも知れません。
そんなこともあったので、関東に帰って来た頃から、私は日高市の高麗神社
へ行きたくってしかたありませんでした。
奈良時代、その頃の朝鮮半島は、三国時代と呼ばれていました。高句麗(こ
うくり)と新羅(しらぎ)と百済(くだら)の三国です。西暦666年、高
句麗の王族の若者が海を渡って日本にやってきました。彼のいた高句麗が滅
んでしまったのです。その当時の大和朝廷は、その一族を武蔵野の一角に住
まわせて、その地域を高麗郡と名付けました。
そうなんです。大和朝廷は、奈良時代に朝鮮半島から1799人の亡命者を
みごとに受け入れたのです。この歴史は、ほとんどの日本人は知らないでし
ょう。韓国や北朝鮮の人も尚更知らないでしょう。
高麗神社:http://www.komajinja.or.jp/
高麗神社の駐車場までは、今まで何度も行ったことがあったのですが、やっ
と本殿まで行くことができました。本殿では、おとなりの家族にお世話にな
ったことを感謝する言葉を伝えて、この先もみんなで仲良くやりたいもので
すと、お伝えしました。
高麗神社の帰りに、近くのカフェに寄って行くことにしました。この店は私
の友人がやっている店で、と言っても私だけが友人と決め込んでいるかも知
れないお店で、もしかするとオーナーが私のことを覚えているかも知れない
と言う、おもしろい動機があったので立ち寄ることにしました。
阿里山カフェ:
http://www.alishan-organics.com/index.html
アイスコーヒーとおいしいパフェを食べていたら、店員に呼ばれたオーナー
のJACKが、テーブルまでやって来ました。JACKは首をひねって、さてこの
人は誰だろうと言う仕草を見せたのですが、私が「カヌーイスト」と言うヒ
ントを一つ出したとたんに、大きくうなずいて「そうそう!チチブのカヌー
イスト」と、大きな仕草をしながら思い出してくれました。
彼は指を曲げながら数えてくれました。私たちは17年ぶりだったのです。
その当時のJACKは奥さんのFayと一緒に、まだ生まれたばかりの子どもをあ
やしながら飯能の今にもつぶれそうな古民家を借りて、日本で始めてとなる
オーガニックの食品を、日本に住んでいる外国人向けに販売する会社を立ち
上げたばかりで、私は主にカナダから輸入した100%ピュアなメイプルシロップの担当をしていたのです。あ〜!あの頃がなつかしい・・・・・。
しかし、おどろきました。JACKとFayがここまでやるとは・・・。近くの人
は一度行って下さい。去年の曼珠沙華まつりの時は、800人を越えるお客
さんが来たらしいです。・・・と、聞けば、やはり行かなくては・・・。
次は、近くの巾着田に行きました。http://www.kinchakuda.com/
真っ赤に咲き誇っている曼珠沙華(彼岸花)を見ていると、まるで1300
年前の高麗の人たちが着ているチマ・チョゴリのようで、あまりにも鮮やか
だったので、ついつい涙を流してしまいました。私は地表のすべての花をま
だ見ていないのですが、やはり彼岸花が一番好きなようです。
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