この前の3連休に、京都と大阪からお二人の女性が尋ねて来られました。
西日本のガン患者の方ならたいていの人がご存知でしょう。ガン患者の会
・ASUKAの代表の山口加代子さんと副代表の安東廣子さんです。
このお二人は、つい先日都内のお台場で開業されたばかりの伊東充隆ドク
ターと私を引き合わせたいと言う目的で来られました。待ち合わせ場所は
HOTLE OKURA。そう、あの立派なホテルです。ですが、私はあの手のホ
テルは苦手なのです。
だいたいHOTEL NEW OTANIとHOTLE OKURAの違いが分かりません。
境目が分からないと言った方が良いかも知れません。両者に一度聞いてみ
たいと以前から思っていました。どうして同じような名前で近くに作った
のですかと。
と言うことで、今回も見事に間違ってしまいました。HOTEL NEW OTANI
のロビーで待っていたら、ふとこのふたつのホテルの違いについて考え始
めてしまったのです。で、分かったのです。気が付いたのです。待ち合わ
せ場所はこのホテルじゃない!あっちのHOTLE OKURAだと・・・・・。
さて、何とか無事にHOTLE OKURAに着きましたが、なかなか三人がロビ
ーに現れません。私はしびれを切らして山口さんに電話をしてみました。
「バウさんは今どこにいるんですか?」
『ぼくは一階の桜の木の横に座っています。今どこに居られるんですか?』
「5階のロビーです。」
そうかここがロビーと思ってたけどロビーは5階なんだ『すぐ行きます!』
と、電話を切ってエレベーターに乗り込んで5階にお願いしますと言った
のですが、係の女性は怪訝な目線で、乗り込んで来たここが5階だと説明
するのです。
『え〜とですね。ぼくはタクシーで来て、あそこの入り口から入って来た
んですが、それが5階ですか?それはあなたの”誤解”ではないですか?』
とシャレまで入れて問いただしたのですが、やはりそこは5階でした。
まるで何処かの温泉ホテルのようです。5階がロビーなんですから・・・。
やっとテラスレストランでお会いすることができました。伊東充隆先生は
お二人から『みっちゃん先生』と呼ばれておられたので、私もすぐにこの
お名前で話しに参加させて頂きました。
実はこの前日に、みっちゃん先生が講演された時に収録された2時間のD
VDをすでに聞かせていただいていたので、彼がやって来たこと、思って
いること、この先にやろうとしていること、感性、気質などをほとんど理
解していたと思っていたのですが、やはり講演のDVDを聞くだけではダメ
ですね!
お互いが『ねんごろになじんで』はじめて『ふれあい』その先で『共振で
きる』モノが生まれ『信頼関係』が生まれるからです。やはりお会いする
と言うことが人間関係の大前提となると改めて思い知らされました。
先生はもちろん714Xに参加して頂けることになりました。これで7人
目のドクターとなります。関東で2人目、都内では始めてとなりました。
714Xの話しは、みっちゃん先生も私もお会いする前に双方でやりだす、
勧めてみようと決めていたので話しはトントン拍子で決まって行きました。
もう一つ画期的な話しが、その場で進められて行きました。関西を中心に
ガン患者のネットをASUKAのお二人は作って来られたのですが、その母体
をNPOにしようと言う話しがまとまりました。
同時にみっちゃん先生を顧問としてお願いして事務局長を私の親友にまか
せて頂けるとなったのです。嬉しく思ったのは、まだ誰もやっていない事
業をこのNPOでやっていただけることになったことです。この辺りのこと
も含めて、NPO申請などが動き出したら詳しくお伝えしたいと思っていま
すので楽しみにお待ち下さい。ここでやり始める事業は画期的な事業だと
言われることにいずれなって行くことでしょう。これで、またたのしみが
一つ増えました。
この日この場に居合わせた4人が、ほんの少し前まで別々の頭でバラバラ
に考えていたことが、見事に集約されたのです。おみごとな3時間でした。
虎ノ門の駅で分かれた私は、連休でお正月状態になった都内の静かなビル
街を歩くことにしました。持ち出したのは【ラジオ】。少し前にipodに飽
きてしまった私は、ポケットに入る大きさのラジオを手に入れたのです。
私の住んでいる生活圏では、FMだけでもJ-WAVE,TOKYO FM,NACK5,
FM yokohama,FM FUJI,NHK FM,と6局もあって、おまけにNHKのテレビ
放送の音声まで聞けるのです。これはいくら好きな楽曲ばかり集めたipod
であっても、その新鮮さにおいては雲泥の差があると言わざるを得ません。
日比谷公園を歩いている時に、J-WAVEから軽快なボサノバが聞え出しま
した。ナビの女性の話しを聞いて驚きました。ブラジル音楽を8年6ヶ月
もの間つづけて来たこの番組が、あと数曲で終るらしいのです。
考えてみれば私はこの15年間、関東から離れて暮らしていたので、この
東京ローカルの番組を始めて聴いたのですが、始めて聴いて来週もこの番
組を聞いてみようと思ったのに、その瞬間に消えてしまうことを聞かされ
たのですから残念でした。
関東に住んでいるブラジル系の人たちのこころを遥か遠くの故郷に運んで
くれて来た番組がこれで消えてしまうのです。そんなことを思っていたら
とうとうナビの女性が選んだ8年6ヶ月の最後の曲が流される時間がやっ
てきたのです。
「では、8年6ヶ月もの間、いろんなブラジル音楽を流して来たのですが、
最後の曲をご紹介したいと思います。やはりこの曲でしょうね!』とナビ
が語り『酔っぱらいと綱渡り芸人』と紹介されたのですが、この時点では
どんな曲か分からなかったのですが、イントロが流れたらすぐに分かりま
した。
去年群馬の太田の方で、私の運転手役になってくれた日系人が、一番好き
な曲だと言って、車の中で何回も私に聴かせてくれた曲だったのです。
この『酔っぱらいと綱渡り芸人』は、1970年代の軍事政権下のブラジ
ルで作られた曲で『酔っぱらい』は政府、『綱渡り芸人』が国民と言うこ
とで、プロテスタントソングになっています。国を憂いて作られたのです。
この番組ではエリス・レジーナの歌で流されたのですが、作曲したジョア
ン・ボスコのYouTubeを探し当てましたのでお聞き下さい。よく見ると、
観客が泣きながら歌っています。この曲が生まれた背景と歌詞が分かれば
これもうなずけるでしょう。
何時しか、無人のビル街は暗くなり始めていました。8年6ヶ月の間よく
やってくれたもんだ・・・さすがJ-WAVE。スタッフのみなさんありがと
うと思った瞬間に、感謝のあまり涙を流してしまいました。
『酔っぱらいと綱渡り芸人』:ジョアン・ボスコ
http://malaria.sakura.ne.jp/archives/2009/06/post-30.html
日が落ちる。夜へと橋がかかる黄昏。
喪服を着た酔っぱらいに
わたしはチャップリンを思い起こした。
月は売春宿のおかみさんのように冷やかな星々から
きらめきという宿代を求めていた。
そして雲は空の吸い取り紙で拷問の血痕を吸い取っていた。
ああ息苦しい。狂っている。
山高帽子をかぶった酔っぱらいはブラジルの夜のために
(わがブラジル!)
あらゆる無作法をやってのけた。
多くの人々といっしょにパトカーで
連れていかれたエンフィルの兄弟が
帰ってくるのを夢見て。
私たちの祖国、気高い母は泣いている
マリアたちもクラリスたちも泣いている
ブラジルの大地で。
でも私は知っている
突き刺すような苦しみが
無駄にはならないということを。
『希望』はサーカス小屋の綱の上で
一歩一歩進みつつ危なっかしく踊っている。
けがをするかもしれない。運だよ!
『希望』という綱渡り娘は知っている
すべての芸人のショーは続けられなければならないということを。
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