沖縄にはすでに20回を超える旅を重ねて来ました。
その度ごとに沖縄に来るテーマは少しづつ変化してきたのですが、一回一回を大切に、丁寧にたんたんと旅を重ねています。
そんな旅の中から、2003年11月と2004年9月に書いたおもしろい記録が残っていたので、ここに転載します。
あの頃の、すっぴんの自分が懐かしいです。
さて、今回の沖縄では・・・何が起こるのか?・・・
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『おでんに化けた 戦争中毒』2003年11月23日
■山田和尚■
コザの街はボクの好きな街で、今も60年代の福生のような雰囲気を醸し出していて、ザックバランな人間関係がありそうで・・・
この街はもちろん基地の街で若い米軍兵士が歩道を騒ぎながら歩いている街です。
ボクはこのあたりに来るといつも立ち寄るミッキーという大衆食堂に入りました。この食堂は週末の深夜ともなると、基地から出てきた私服の兵士たちのたまり場になり、まるでNYのワシントンスクェアーの安パブのような感じの場所と風変わりするのが好きでよくここに出かけます。
今回、ここに立ち寄ったのには目的がありました。『戦争中毒』の英語版を1冊持っていたので適当な人をさがして手渡したいと思っていたからです。
ボクは以前にも米軍の佐世保基地の近くで若い米軍兵に話しかけて1冊を手渡したので、これが2冊目になります。
なんと、まだ2冊です。ちなみに自衛隊員には朝霞の方で10冊も渡しています。
この日はまだ夕方で米兵は少なく、ボクは一番奥のカウンター席で5$の焼きそばを食べながら適当な人を待つことにしました。
こんなときのボクは注意ぶかく手渡そうとする人の性格、顔の質(笑い)などをチェックするのですが、やっと3組目でこの人ならと思う人物が現われたのです。
彼は太陽がたくさん降り注ぐ地方のアメリカ人らしく、なかなか爽快に振る舞い横顔が知的な人物で、金髪の女性とスリムな黒人男性と一緒にボクの席の近くのおでんの前に座ってくれました。
彼とはきのう寒かったね、あたりから会話に入り頃合いをみて、それまで隠していた『戦争中毒』をなにげなくテーブルに上げて、なおもさりげなく会話を楽しむような感じでいたら・・・
やった〜! 彼の目線が『戦争中毒』にくぎ付けになり、すぐに手が伸びてきたのです。
さあ、ここからが緊張です。すぐに怒りだすかも知れません。
緊張のあまりボクは映画なんかでよくあるポーズをとりました。
両手を平らに上げて首をちょっと曲げるという仕草でごまかそうとしたのですが・・・
フロリダ男性の方は、不思議なものでも見ているように真面目な目線で本の中身を見ていたのですが、横にいた金髪女性の笑顔が消えました。
一瞬で怒りの顔に変化。ここまでわずか数秒。で、大きな声で叫びはじめたのです。この時の言葉は理解出来ませんでした。
その時、レジの方にいたスリムな小柄な黒人男性が飛んできて、さあ大変です。このスリムな男性が怒りだしたら彼の体からシャープなパンチが飛び出すかも知れないのです。
が、しかし、彼はフロリダ男性が何か真剣に読み出していたので興味が湧いたらしく、『戦争中毒』を取り上げて席に座り、読み出したのです。・・・・ほっ!
結局、感謝されました。本代の代わりにおでんを3つおごってもらいました。フロリダ男性に英語サイトを教えたところ、いろんな人に知らせてくれるという約束までしてくれました。
よかったこれであのビデオも見てくれそうだ。
彼のお気に入りはアメリカのメディアが軍需産業に買い取られているという解説の部分だったようです。
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2004年09月発行 Vol.461から
■山田和尚■
沖縄で特に嬉しかったのは、夜中のコザの街で若い米兵と仲良くなって、『911』のビデオを見せることができたことだ。
コザの街を歩いていた20代前半の二人連れのヤンキーと仲良くなって、ころ合いをみつけて「あっそうだ!面白いビデオを持ってんだけど、どこかで見せたいなぁ」と持ちかけたら、嬉しいことにビデオがあるお店に連れていってくれたのである。
店の中には若いヤンキーが7人いて、すぐに一緒に見ようと言い出した。何かよほど面白いビデオだと思ったのか、ママがビデオのセッティングをしている間に、可愛い顔のヤンキーが隣の店にいた7人を連れてきた。合計17人の夜間上映会である。
以前の『戦争中毒』の時も同じようなことをして緊張した経験があったが、私の今回の心境は違っていた。と言うのもすでに彼等の仲良しの『仲間』になっていたからである。
ビデオが始まると彼等の今までの明るい表情がすぐに真剣な表情へと変わり、冒頭のペンタゴンの解説から身動きひとつせず、見入っていた。
嬉しかったのは誰一人として途中で帰らずに真剣に見入ってくれたことだ。悲しかったことは、彼等は何も知らされていない、何も知らないという事に尽きる。
にもかかわらず、たとえ仕事とは言え、命をかけている。
ビデオが終わって少し静かな時間がたったころ、一人の若い兵士が「俺は、やめるよ」と兵士をやめると言い出した。彼はこのビデオを見て「これは、おかしい」と初めて自分自身で思えたのであろう。
この夜は朝までかけてビデオを2回上映した。合計28人の兵士が見てくれた。
ほとんどの兵士が兵士であることをやめたいと言ってくれた。
彼等にとって、この夜は敵の銃口よりも危機感が芽生えたに違いない。それは唯一のより所としてきた愛国心が崩れたからに違いない。
朝になって別れる時に、一人の兵士が「このビデオが欲しい」と言い出した。もちろん私はそのつもりであったが、「どうするんだい」と問いかけてみた。
「コピーして、基地の友人に配りたい」と言ってくれた。
「アメリカにも、送って欲しい」と私は付け足した。
ひょっとして、このビデオ1本で基地の中が変わるかもしれない。
みんなでやるともっと早く変わるかも知れない。
そのために、まずは親しい友人になることだ・・・・・
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