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バウの道中記 2005年12月20日 松山 |
【道後準備会】
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昨夜高速バスを降りた辺りで四万十塾のとーるから電話をもらい、急遽山口県の宇部から四国の松山に移動した。
とーる曰く、NHKの国際放送の○○さんからメールが届きバウさんと年末の取材の件で打ち合わせしたいとのことです・・・なかなか連絡が取れないのでいろいろと検索をして四万十塾に連絡をしてくれたらしいとのこと。
そうだ。そういえばオープンジャパンのウエブサイトをリニューアルしていて、いっぺんに風景を変えたので、○○さんは余計に心配になったのであろう。
このとーるからの電話の中で、明日だったら松山辺りで会うことが出来るのだが、どうだ会わないかと問いかけてみた。私がいる宇部から松山は高速バスと市電とフェリーを乗り継いで約6時間。四万十のゲストハウスからは雪山を乗り越えて約4時間。お互いただ単純に会うためだけにこの時間を使って移動するということに何の躊躇もしない性格だから、親友というものは嬉しいものだ。
とーるの方で四万十塾を一緒に立ち上げたヒロにも連絡してもらい、道後温泉の山の上にある松山ユースで待ち合わせすることにした。
高速バスが広島に近づいたころ目を覚ましたのだが、雪の多さに驚いた。広島も何年ぶりかの大雪だったのであろう。バスセンター前から広電のちんちん電車に乗って終点の広島港のフェリーターミナルにたどり着いた。
私は少し緊張気味に切符売り場で申し出た。いつもは時間のかかる普通のフェリーに乗るのであるが、今回始めて身障者手帳をつかって、それもカタマランの早い高い切符を買いたいと思っていたからである。はたしてこの高い切符も半額になるのだろうか? セーフであった。
松山ユースにはもう20回ぐらい泊まらせて頂いている。
それもあまり公表できないかもしれないが、いつも無料である。その時、その時々に社会にむけてやって来た私の生き方にオーナーの平野さんの理解があったので、いつも宿泊費を取ってくれないので恐縮、感謝限りがない。
驚いたのは、二階の会議室でこの夜開かれていた北海道から来た3人組のジャンベのライブの世話の為に来ていた金やんとこの日偶然出会えたことである。このジャンベの3人組はこの前札幌で「お好み焼き」の焼き方を教えたmamadoの知り合いでもあるらしい。
とーるとヒロと大統領(平野さん)と相談して私たちの話し合いはライブが終わってから、金やんにも入ってもらってすることにした。
10時から始まった会議は、しんしんと深夜まで、私のパソコンをみんなでのぞき込みながら約3時間続いた。
特に大統領はこの夏に札幌まで行って、今回の研究者の一人と7時間も話しを聞いてきていたので、私が途中で席を外して戻って来たら、そのあたりの話しをみんなに興奮しながら話していたので、私はニコニコしてしまっていた。
このミーティングで愛媛の松山市と伊予市と久万高原町と高知の四万十市の担当者が決定した。その他四国の各市町村の推薦者を加えると、12人の名前が挙げられた。
特に嬉しくなったのは、四万十川の源流の不入山あたりから、中流域もふくめて河口の四万十市までを気のあった人物ばかりで固めることが出来たと言うことだ。
さて、私たちはいったい何をしようとしているのだろう?
私は九州から四国、中国地方と、今旅の途上である。
約2年かけて北海道まで、各市町村に『ひとりづつ』の草の根のネットワークを創りたいと思っている。
さて、私たちはいったい何をしようとしているのだろう? |
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