晴耕雨読というには至らない畑の狭さですが、雨の多かった8月は、ほとんど畑に出向かず読書三昧としゃれていました。
最近の本屋さんは不景気らしい。昔からよく通っていた六本木の青山ブックセンターと八重洲の丸善の経営が悪いと報道されたので、懐かしさも手伝って行ってみることにしました。
青山ブックセンターは国道246号沿いにあり青山通りの麻布警察に近い場所にあります。ところが、行ってみて分かったのが、昔とは一見してすぐにわかるぐらい客層が変わっていたのです。
昔はもっとアクの強いクリエイティブなアーティスト系の人が多くて、その中に無機質に感じるサラリーマンと、くたびれた感じの中間職が遠慮がちに少人数いて、彼らの生活感をほんのつかの間でも忘れさせることができる息抜きの場となっていたように思っていたのですが、今はそうじゃなく、クリエイティブな感じの人がほとんどいなくなっている。その結果、雑然とした生活の場となっていることにがっかりさせられました。
どうも、六本木ヒルズとミッドタウンが生まれて、この街の「質」が変わったのかも知れないと、ため息が出てしまいました。
帰りに、もっといろんな本を見てみたいという衝動が出て、渋谷の東急文化村に寄ることにしました。ここは『“現在を準備した様々なアートの流れ” をテーマとする店内は、20世紀を中心に見て楽しい画集からマニア垂涎の古書まで、美術書の様々な世界を展開します。そのほか写真、映画、演劇、音楽、建築の各ジャンルをカバー』とサイトにうたわれるだけあって、なかなか豪華な蔵書がお気に入りでよく行く場所です。
ナディッフモダン:
http://www.bunkamura.co.jp/restshop/bookshop/index.html
国内ではこれほどの書店はまずないでしょう。面白いのはオノヨウコの芸術家としての書籍もたくさん積まれていることです。これは一見してほしい。
最近の私は、あまり新書を買わなくなりました。かしこくなったと言うべきかも知れません。若い頃は、どうしても新しい読み物を追いかけている自分がいて、たくさんの新刊本を高いお金を支払って買ってしまうことが多かったのですが、その多くがハズレな本で、最後まで読み切るような魅力がある本がなかなか見つからない場合が多かったのです。
その分、文庫本はハズレが少ないと思っています。日本の閉鎖的な書籍の販売システムでは、新刊モノは一過性の売り物として本屋さんたちは考えているようで、ほんの短期間しか店頭に置いてもらえない中で、「これは違うんだ。この本は書店の都合ですぐに返品されるモノではない」と意気込んで、なんとか残したいものだけを文庫本にしていく、出版社の気品に満ちた背景を感じてしまうからです。
この日、六本木と渋谷に出かけた私でしたが、結局のところ今住んでいる街の
駅前にある小さな本屋さんで文庫本を買うことにしました(笑)
買うと言っても、買いたい文庫本がなかったので2週間もかかってしまう発注をしました。『えッ!Amazon 使ってないの?』って言われるかも知れないけど、使わないんです。
私が高校生の頃、よく行く本屋さんがありました。その頃の私は家がありませんでした。高校一年の時に家業が倒産して家を追われてしまったのです。本が好きな私はいつも空腹を我慢しながら本屋さんで立ち読みをしながら夜遅くまで時間をつぶす毎日をくりかえしていました。
その本屋さんのご主人は、私の家が倒産したことを知っていて、いつもそんな私をおおめに見てくれていたのです。
その頃、私が好んで読んでいた本は、吉川英治の『三国志』でした。この本は
6センチぐらいの厚みがあって、今はほとんどなくなったのですが固いカバー
から出して読まなくてはならない本だったのです。
店先で毎日2時間、3時間と固いカバーをはずして熱心に立ち読みする私を、よくもまあこのご主人は我慢してくれたものです。それもこの本屋さんでこの本が一番高かった本なんですから、独り占めしている私も、どうかしていました。
上、中、下とあるこの『三国志』の上の部を読み終える夜がやってきました。
書棚を見るとこの先の、中と下の本がないことが分かりました。
上の部を読み終えた私は、何も言えずに店を出るしかありませんでした。
次の日、その本屋さんに行ってみると、吉川英治の『三国志』が、上中下3冊揃った本が、二組も書棚に積まれていたのです。そして、ご主人が私に言い出したのです。
「あんたを見込んで3冊あげるよ!ほれ、読みなさい!」と言って、重い本を3冊くれたのです。
そんなこともあって、今も小さな本屋さんを大切にしたいと思っています。
皆さんも出来るだけ小さな本屋さんを助けてください。
便利だから、スピーディーだからスケールメリットがあるからだけで、自分のまわりの消費生活を決め込んで行かないで下さい。それらにはない、もっと暖かい何かを求めて欲しいのです。
そうそう、携帯電話もやめることにしました。世の中iphoneの時代に入ったのにどうしてかと言われるでしょうが、もともと私は腕時計というものを持たないで生きて行こうとした人間です。
世の中の時間の概念から外れて生きたいと思っていたからです。ところがこれは便利だからと言われて、まだほとんどの人が使っていなかった自動車電話から使い出したのですが、それと一緒に私の前に現れたのがデジタルの時計でした。来月ぐらいからまた外れたいと思っています。
【もう一度】便利だから、スピーディーだからスケールメリットがあるからだけで、自分のまわりを決め込んで行かないで下さい。それらにはない、もっと暖かい何かを求めて欲しいのです。
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