恥ずかしい話しですが、村上春樹を始めて知りました。
もちろん、あの緑色のカバーの『ノルウェーの森』を友人からもらって
数ページ読んだことがあったのですが、それは村上 龍が書いたものだと
今まで勘違いしていたのです。
いやぁ〜、すごい勘違いをしていました。これは、シーチキンがマグロ
缶ではなく、カツオの缶詰だと分かった時より、目が覚めた感じです。
彼が、世界中のフアンに感動を与えた、エルサレムのスピーチをここに
転載させて頂きます。彼はパレスチナのガザ地区を攻めたイスラエルの
国から文学賞をもらうかどうかをさんざん悩やみました。
しかし勇気を出して、その会場に立ち、イスラエルの大統領他、重鎮た
ちが居並ぶ会場で下のスピーチをしたのです。
明日早速、彼のデビュー作の『風の歌を聴け』を手に入れたいと思って
います。いや〜あ、すごいヒトだね!すごい。すごい。拍手だ拍手だ!
不思議と、このスピーチが終わった会場では、スタンディングオベーシ
ョンが起こりました。ん〜〜ん!すごかったよ!会場の拍手も・・・
一斗缶:村上春樹エルサレム文学賞受賞スピーチ抄訳から転載
http://maturiyaitto.blog90.fc2.com/blog-entry-139.html
こんな風にぼくはエルサレムにやって来ました。小説家として、つまり
嘘の紡ぎ手としてです。
ただ小説家だけが嘘をつく訳ではありません。政治家もそうですし(大
統領には申し訳ないけれど)外交官もそうです。ですが、ほかの人たち
と違ったところもあります。ぼくらの嘘は訴えられることがありません
むしろ誉められさえするのです。嘘が大きければ、その分誉められさえ
するのです。
ぼくらの嘘と彼らの嘘との違いは、ぼくらの嘘が「本当」を明かすこと
に手を貸すことです。「本当」を完璧に把握するのは難しい。だから、
ぼくらは、それをフィクションの領域に移し換えるのです。ですからま
ず、ぼくらの嘘のどこに「本当」があるかはっきりさせておく必要があ
るでしょう。
今日、ぼくは「本当」を語ります。ぼくが嘘をつかないのは、一年の内
数日だけです。今日はその内の一日です。
受賞について尋ねられた時、ガザは戦闘状態だと警告されました。ぼく
は自分に問いかけました。イスラエルを訪れることが正しい事かどうか?
片方に荷担することが。
少し考えがありました。そこで行くことにしました。多くの小説家と同
じ立場を、ぼくに言われていたこととは反対の立場をとることにした訳
です。
小説家としては自然なことでしょう。小説家は自分の目で見るか、自分
の手で触れていないことを信じることが出来ません。ぼくは見ることを
選びました。何も言わないことよりも、話すことを選びました。
こんな風にぼくは述べに来たのです。
仮に壁が堅く高く、卵が潰えていようと、たとえどんなに壁が正しく、
どんなに卵が間違っていようと、ぼくは卵の側に立ちます。
何故でしょう? ぼくらはそれぞれが卵だからです、ユニークな魂が閉
じこめられた、脆弱な卵だからです。ぼくらはそれぞれ高い壁に直面し
ています。
高い壁とはすなわち、ぼくらに普段通り個人的には考えさせないよう仕
向けている、システムにほかなりません。
ひとつだけ、小説を書く時に意識していることがあります、個々人の神
々しいまでのユニークさを描き出すことです。そのユニークさを喜べる
ように。そしてまたシステムがぼくらを絡み取ってしまわないように。
だからぼくは、人生についての物語を、愛についての物語を書いていま
す。人々に笑い泣きしてもらえるように。
ぼくら人なるものはすべて、個々の、脆弱な卵なのです。壁に逆らうこ
となどかないません。それはあまりに高く、陰気で、冷ややかなのです
から。
ぬくもりや強さを求めて魂をひとつにする、ぼくらはそうやって壁と戦
うよりほかないのです。決してぼくらを、システムのコントロールに、
ぼくらがつくったものに委ねてはなりません。ほかならぬぼくらが、そ
のシステムをつくったのですから。
みなさんに、ぼくの本を読んでくれているイスラエルの人たちに感謝し
ます。願わくば、ぼくらがなにがしか有意義なものを分かち合えますよ
うに。ぼくがここにいるのは、ほかでもないあなたたちのおかげなので
すから。
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