今から5年前の2004年の私は、友人の軽トラックを借りて自分自身
で運転する最後の日本一周の旅をしていました。これは47都道府県全
てを廻り、あるビデオの上映会をするためだったのです。
荷台には、いつも泥だらけのテントとキャンプ道具。寝袋は何カ所か破
けたのをガムテープでごまかしたままでした。荷台のグリーンのシート
の下には、いつも数百本のビデオを段ボール箱に積めて、一見すると怪
しい行商人の旅と思った警官もたくさんいました。
一つの県で2カ所か3カ所のビデオ上映会をして、ところがこのビデオ
は英語版だったので、ビデオを3分間ぐらい進めては止めて通訳、止め
てはまた通訳・・・そんな毎日の繰り返しの日々が続いていきました。
私の通訳で内容を理解してもらい、英語版のこのビデオを一本1000
円で買ってもらい、そんな方法で集められた資金でつくられたのが、日
本語版のDVD『ボーイングを捜せ』だったのです。
http://www.wa3w.com/911/index--.html
捜していたら、懐かしい道中記を見つけました。
http://www.peace2001.org/gpc/911/911_bow_set.html
九州から始まったこの旅は、今から思い出しても私の人生の中で一番つ
らい旅となりました。だって、軽トラだよ!あの狭い運転席の・・・
毎日、枕代わりしていたハンドルの跡がおでこから消えなかったんだよ!
私はこの旅で体調をくずしました。旅を終ってからの私には長い入院生
活が待ち構えていました。しかしやりきったのです。
石川県を走っている時に「バウさん、タイトルはバウさんに決めてもら
いたいんです」と言う連絡が入り、川の横でしばらく考えて『ボーイン
グを捜せ』で行こうと言った瞬間もよく覚えています。青森まで登って
行った時に、きくちゆみから電話で「バウさん、出来た〜」と連絡が入
ったので、この時は津軽海峡まで大泣きでした。もう体が動かなくなっ
ていたのです。
『ボーイングを捜せ』は確か2004年の春頃だったでしょうか、米国
のテレビ局のキャスターをやっていたデイブ氏から、このビデオを日本
でもたくさんの人に見もらいたいと言うメールが届き、きくちゆみとも
相談した結果、私がその日本語版の制作費をつくることになったのです。
あれから5年の歳月が過ぎたのですが、きくちゆみはまだこの路線を崩
さず走り続けてくれています。この12月は米国の900人の建築家が
参加して作ったDVDの上映会とその中心人物のリチャード・ゲイジの講
演が各地で開催されます。
http://911.globalpeace.jp/
じ・か・ん・を・つ・く・っ・て・行・っ・て・く・だ・さ・い。
私の親友のとしちゃんが、2日前に一晩かけて、もう間に合わないと思
いながらも、思いついたので一分間のコマーシャルを徹夜で作ったらし
いです。感謝の気持ちでいっぱいです。
そうだそうだ、トシちゃんが『ボーイングを捜せ』のデザインもしてく
れたし、中身の日本語の吹き替えも彼がやってくれたんだ。
では、トシちゃんの声優らしい声を下の一分間のビデオでお聞き下さい。
トシちゃんは、このリチャード・ゲイジ氏たちがつくったDVDの吹き替
えとパッケージのデザインも今回やってくれました。
『9/11:真実への青写真」建築の専門家による「崩壊」の徹底検証の
発売は2010年1月頃の予定です。
|