夕暮れ時。テレビの裏の壁に一匹のゴキブリが現れました。大きさは4セン
チぐらいありました。見事な成虫でした。
実は、私はゴキブリが恐いのです。まだまだアマゾンやアフリカや東南アジ
アにいる虫たちの全てに会っていないのですが、今のところ一番怖い生き物
がゴキブリなのです。だからゴキブリが大きいハワイも好きではないし、パ
キスタンなどはもってのほか、タイ、ベトナムの大きさは悪夢でさえあるの
です。
壁のゴキブリを発見した時は、顔面、いや背筋まで足の先まで凍りついたよ
うでした。しばらくゴキブリが天井まで上がって行くのを慎重に見ながら、
この建物はまだ新しい、だからここで育ったのでは無い。たぶん何処かから
窓越しに入って来たんだ、それにしても大きすぎる。と、頭の中はその現実
を認識できない自分で溢れかえっていました。
「窮地に陥ったヒト」は、なかなかその現実を受け入れる「度量の大きさ」
が無くなるのでしょう。その分「ヒトは小さく」なるようです。
私は恐怖の時間の中に入っていました。そうだ飛ぶかも知れない。ゴキブリ
が天井に差し掛かったときが要注意だ。私の緊張度はしだいに増して行きま
した。その時思いついたのです。掃除機だ。掃除機だったら何とかなるかも
知れない。
私は慎重に後ずさりして掃除機を出しに行きました。さて、掃除機は出て来
たのですがゴキブリの近くまで接近出来る「勇気ある自分」がどこにもいま
せん。せめてこの距離までと管を伸ばしてみるのですが、その距離は私の想
定以下なのです。
ゴキブリは何かを感じたのでしょう。身動きをしなくなりました。微動だに
しなくなった。ところが私も微動だに出来ないのです。しばらくの間双方共
に静かな緊張感があったのですが、その時、私は意外なことを思いついたの
です。
双眼鏡でゴキブリの観察をしようとしたのです。これは何らかの効果を望ん
で思いついた訳ではなく、掃除機の管を動かせない自分の「言い訳」程度で
状況が変化するまで何かやらなくてはと思って、思いついた言わば「苦肉の策」で、何の意味すら無いのです。
ところがその双眼鏡がゴキブリの近くに置いてあることに気がついて、そこ
でその思いつきが頓挫したのです。
さて、またゴキブリと私と掃除機に意識が戻ったのですが、今後は掃除機の
床用のあの平らな部分を付けて突進して行くかどうかを考え始めたのです。
そこで私はもう一度廊下に後ずさりして、どちらがいいか予行演習してみる
ことにしたのです。
その結果、管だけであればゴキブリを吸い込んだかどうか、すぐに分かるの
ですが、床用であればその確認時間が長くかかり、結果的には恐怖の時間が
長引くようで、と考えて管だけでやろうと決めたのです。
部屋に戻ると、ゴキブリは約2メートル移動を果たしていました。真っ逆さ
まになる天井は厄介だと感じたのでしょうか、窓側の壁まで直角に進んでい
ました。
「よ〜し、勝負だ!」と行きたいのですが、そこはやはり全生物の中で一番
恐れているゴキブリです。やはり私は何も出来なかったのです。
一時間ぐらいじっと眺めていたでしょうか、やっとコマーシャルを思い出し
ました。あの煙のヤツを使えばいいんだ。そうだそうだと私は意気込んで閉
店まじかの薬局に行って、その缶を買って部屋で煙を焚くことにしました。
その夜は、煙が収まるまで駅近くのベンチで待ちました。長い時間でした。
二日後、つれあいが折り畳んだ洗濯物の中からあるモノをつかんで私に言い
ました。「とうちゃん、これじゃないの?」手の中には、しなれた体のゴキ
ブリの遺体がありました。『えっ!かあちゃん ゴキブリ つかめるの?!?』
これってゴキブリより、かあちゃんの方が恐いと言うことじゃないの?と感
じた2010年の夏の出来事でした。
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