このところ長い間会わなかった人からのメールがたくさん届いています。
6年ぶり11年ぶり15年ぶり(これらは、けっして魚の名前ではない)
そんな中で特に面白かったのが○●先生で、知り合った頃の彼はドイツ
文学系の東大の教授で、私はまったくドイツ文学には興味がないのにお
互いの生活環境があまりにも違う部分があって、だから逆にお互いが純
粋に共鳴しあった仲だったように思っている。早く言えば大の仲良しな
のだ。
いつも会う度にまったく違った生活環境の話しをするのが、ふたりの楽
しみで、しかもそこには利害もなく議論もへりくつもなく、それはそれ
で心地よくって、大学裏の網のフェンスの隙間からいつもまるで泥棒の
ように東大の敷地の中に入って行ったことを覚えている。
彼とは実に様々な話しをした。いろんな体験も一緒にした。その中の一
番は、何と言ってもあの長瀞の急流をライフジャケットだけで2人いっ
しょに流されたことだろう。
ある日、学食で何かの話しをしていた時に「僕は本気になって笑ったこ
とがない。この歳になるまで大きな声で笑ったことが一度もないんだよ
!バウさんはどう?最近笑えるようなことあった?」
そこで私は『たぶん先生は、まだ冒険と出くわしたことがないんでしょ!
冒険の価値さえ分かっていないんじゃないの?』とカレーライスを前に
して東大教授に冒険についてのプチ講義をはじめてしまったのだ。
自分の想定外の出来事に出くわすと言う意味について。想定内だけで生
きて行くことのわびしさ。その哀れ。
想定外の境遇の時にしか遭遇できない精神状態。一瞬空っぽになる頭。
この空っぽの大切さ。先生の頭の中は「言葉」ばっかピンポン玉のよう
に飛び回ってんでしょ?とまで。
カレーライスはすっかり冷めてしまっていた。
と言う訳で、後日荒川の上流にある長瀞に連れ出した時の彼の顔は引き
つっていた。下見をしていざ川に飛び込もうとしても彼は飛び込めない。
『そうかこの人は想定内の生活体験でしか考えられない頭の構造なんだ』
と言うことを思い出して、浅い場所に移動して、下流に足を浮かべて長
されながら泳ぐ方法や両手をパドルのように使って流れの中で平行移動
をする方法などを念入りに教えたら、日頃キャンパスでは堅苦しい顔ば
かりしている彼が天然の子どもの顔に戻ってきたのでひと安心。
結局この日は、長瀞の一番の早瀬と言われている「小滝の瀬」を彼と一
緒にライジャケだけで下ることができました。小滝の瀬の後に出て来る
浅瀬の瀞場に出てからの彼は、川の廊下に響き渡る大声で大笑いをして
くれました。
小滝の瀬:とーるとたくみの神業タンデム
さて、その●○先生から電話がありました。もう11年ぶりです。
その内容がおもしろ過ぎるのです。
息子さんがお子さん(孫)といっしょに大泉の100時間ぶっとうしの
フットサルに参加されたようで、その時に誰かから言い出しっぺの私の
ことを聞いたらしく、その後私に興味を持たれたようで、ちょうどこの
前の道中記の『水虫の唄』を読んでyoutubeを聴いている時に●○先生
が帰宅されて、先生はその曲を聴いて懐かしさのあまりすぐに泣き出し
たらしいのです。(家族の前で始めて泣いたそうです)
これは誰のサイトだと言う会話になって、息子さんからバウさんと言う
人のサイトだと聞いて、意外な展開に驚かされて、今度は大笑いしなが
ら大泣きをしたらしいのです。
不思議だよね!こんな親子2人に出会えるなんて、そうかお孫さんとも
同じ会場に居たんだから親子3代のおつきあいになる訳だ。
彼は数年前に東大を退官したようで、来年の春からは日本100名山に
挑むことにしたらしい。
バックパックも含めた山の道具の選択とレインウェアから下着までの選
択をすべて私に任せてくれることになりました。
私はこんな人たちに囲まれて幸せ者だと思っています。
とうぶんはご安心下さい。
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