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バウの道中記 2005年12月28日 高松 |
【豊島問題改ざんサイト】
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高松駅に着いたのは、すでに夜の9時をまわっていた。
ひと昔前、この駅周辺は瀬戸内に面した何処となく暖かさを感させる開放的な田舎の港町だった。しかしバブル期後半から、あんちょこな豪華さを誇る高層ビルが建ち始め、この辺りの雰囲気を無機質な様相に一変させた。
この高層ビル群は、「温和な人間」に対して何処かうそぶいているように思えてならないのである。うそぶく【嘯く】とは、【とぼけて知らないふりをする】と言う現象だ。
この【うそぶいた】現象は、高松の港の沖合にある豊島でも今まで頻繁に使われて来た。香川県庁が産業廃棄物業者にミミズ養殖業者と偽らせ、大量に有害な産廃物を運ばせながら、住民たちに知らぬ存ぜぬと、とぼけて知らないふりをして来た「豊島事件」でのことある。
下に張り付けた香川県庁のサイトと島の住民たちがつくったサイトで、双方の違いを見比べて欲しい。
香川県庁:豊島問題ホームページ
http://www.pref.kagawa.jp/haitai/teshima/
いやぁ〜!このサイトは立派に出来ている。豊島の問題を学習したいと思い、ここに始めて入って来た人は、このサイトを見て、きっとつまずくだろう。まるできれいづくしでおさまったのように行政側の意見で【うそぶいて】いるからだ。
やはりこの問題は、豊島住民会議のサイトを見た方が本質が分かる。弁護士の中坊さんたちと一緒にやってきたその当時住民会議の事務局にいた石井くんのリポートで、その当時の県知事と行政マンがやってきたことを読みとってもらいたい。
豊島住民会議:石井くんのレポート
http://www.teshima.ne.jp/blog-archives/000041.html
要は、県庁のサイトでは、ものの見事にきれいに【うそぶいて】いるのだが、このサイトは豊島の島民たちの見えない苦悩の基礎部分を土の中に産廃ごと隠して建ち上げているのである。
私はその当時、豊島に野放しとなった産廃現場と高松にある香川県庁を何度も往復して、この高松駅の周辺に建設中の高層ビルを眺めて来た。その度にこの建設予算が豊島に使われたら・・・・・とばかり思って来た。
さて、ここから気分をかえて・・・・・
3年ぐらい前だったろうか、県会議員になった豊島の石井くんと市民派県会議員の渡辺さと子さんと川西さんと私の4人で県庁の議員会館で小さな会合をやったことがある。
今日はその時のメンバーであった川西さんと会うために高松にやってきた。彼は「ガイアシンフォニー」の上映会を四国で一番たくさんやってきたこころの熱い人物で、彼が培って来た人脈は、香川一県だけにとどまらず、四国四県をまたいでいるからおもしろい。私はそんな彼のネットワークに期待してやってきたのである。
ところがである。夜の9時が過ぎたと言うのに、彼はなかなかやって来ない。『遅れるんなら、遅れるって連絡してくれたら・・・』と私は川西さんに向けて頭の中で訴えようとしていたのであるが、「連絡」と言う言葉が変にスキンヘッドの頭に引っかかったのである。
よくよく考えてみると、私は川西さんにアポの電話を入れるのを忘れたまま高松までやって来たのである。彼に何年もまったく連絡せずに今日急にやって来て、私が今ここで寒さの中でこうして待っていると言うこと事態も今の彼は知らないのである。
それまで風が冷たい駅前で誰かと待ち合わせしているような態度を「堂々と」やっていた私は、あわてて川西さんに電話をかけてみた。が通じない。
取りあえず、連絡欲しいと留守電にコメントを残して、駅前のミスドで待つことにした。が、しかしこの日は連絡がとれなかったので結局ホテルを予約して一泊することにした。
私は予約したビジネスホテルに駆け込む事にして高松築港から私鉄の琴電に乗り、一つ目の片原町に降り立った。
この片原町の駅は、いたって庶民的なアーケードが駅前から続いていて、私はこのアーケードに面した銭湯を見つけ、つかさず湯気だらけの釜揚げうどんに化けていた。
翌日、ホテルをチェックアウトしてからやっと川西さんから電話が来た。「バウさん!久しぶりです。この前松山ユースの大統領から電話をもらいました。バウさんから直接話しを聞けということでしたので、楽しみにしていました。どこに行けばいいですか?」
私たちはカフェで待ち合わせして、川西さんがやりだしている熱を遮断したり、熱を蓄えない新しい塗料の話しや、この二、三年のお互いの生活環境の変化など・・・・・話しは関を切ったように続き、後で気がつけば二人とも頼んだコーヒーに一口も口をつける暇がないくらい時間を忘れて話し込んでいた。
「それで、今回のバウさんの話しを聞きたいのですが・・・・・」そこからまた私の話しが本格的に始まった。
川西さんは、喜んでくれた。私の話しを聞き、これは今までの自分の人生の集大成だと、興奮しながら大笑いをしていた。彼はそれほど地球を変えたかったのである。
彼はそれほど、この機会を待ち望んで来たのである。
これで四国四県のキーパーソンは出そろった。彼らはそれぞれの生活圏で日頃から築き上げて来たネッワークを動かすに違いない。それも自分の人生の集大成としてである。
私の2005年はこれで終うことにしよう。年明け早々から札幌が待っている。それまで休養することにする。
今日一日の出会いに感謝する・・・・・ |
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