「どうしてバウさんは、医療の世界に入ろうとしてるの?」
「バウさんだけはカヌー三昧、山三昧で生きてくれた方がいいと思ってるヤツが、全国にたくさんいると思うなぁ〜、ぜったいに・・・」
ほんの10分前まで都庁の会議室で、彼が紹介してくれた薬剤関係に詳し
い人物と、薬の成分構成や未承認の薬剤の輸入に関して、難しい専門的な
説明を受けていたのだが、ちょうどランチタイムになったと言うことで、
近くのホテルのバイキングに友人は私を連れ出してくれた。
お互い好きな料理をテーブルに運んで、向かい合った彼が私に話しかけた
最初の言葉がそれだったのだ。
「もう25年ぐらいたつんじゃないかな・・・ちょっと待って・・・」
彼は指を曲げて勘定しはじめた。「29年前だわ!」私と彼が始めて川で
知り合ってから、もう29年がたつらしい。
彼は一般的な表現をすると、今は都庁の年長組になったらしく、かなりの
偉いさんで通っている。そんな彼と始めて会ったのが荒川の上流の長瀞と
言う場所で、私は岩場が多く流れの速い瀬の中をパドルを使わずにまるで
カヌーを木の葉のように仕立てて、岩にもぶつからず激流の中を流されて
行く奥義の工夫をしている時期だった。
2時間ぐらいたっただろうか、岩の上で私をず〜と見ていた彼が水辺まで
降りて来て、「どうして、パドルを使わないんですか?」と声をかけてく
れたのが、彼との出会の最初だった。
『これの方が、水の流れが見えて来るんだわ。こういう流れの中では自分の力を出さない方がいいんだわ!』その時の会話はこれだけだったように思う。
その後彼は、一時はカヌーの世界で私の右腕になりたいと言うところまで
言い出した時期があったが、家の都合で都庁を辞めることが出来なくなっ
て、今は偉いさんになって私の前に座って違った形で私に協力しようとし
てくれている。民間のはずの神戸元気村の活動に都庁関係者が多かったの
も、日本海重油の時の関東からのたくさんの動員力も、彼の尽力に依ると
ころが大きくある。
「バウさんがあの頃言ってたこと、いまだに覚えてるよ。今でも標語のように頭ん中に叩き込まれてるんだから僕たちは。バウさん覚えてる?」
『たぶん、い・と・お。じゃないか?』
「覚えてくれてんだ。うれしいな!愛おしくてたまらない。ですよね!」
「あの頃のバウさんは、大きな木に抱きついて、愛おしくてたまらんわと騒いでみたり、夜露一滴にも枯れ葉にも、たまらんわ!お前たちも愛おしいと思わんかって言ってたもんね〜」
「上高地の梓川下った時に、大正池だったかな?あそこで内緒でキャンプした時、質問したんですバウさんに。バウさんは何を目指して生きてるんですかって。その時のバウさんの答えが最高だったんですよ!
今でも忘れてないですよ。愛おしいものを探すためだよって答えてくれたんです」
彼の目には涙が出始めていた。
「そんなバウさんがどうですか?人間がつくった法律なんかくそくらえって言ってたバウさんが、自然の摂理の中で生きて行く方がよっぽど大切だって言っていたバウさんが、今日は薬事法の勉強?医師法の勉強ですか・・・それって、絶対に戻ったらダメなことぐらいバウさんなら分かってるはずでしょう?」
私は、ここまで私のことを理解してくれている親友が、やっとここで始
めて現れたと思えた瞬間から泣き始めていた。
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