3日前、今年初のツバメと出くわしました。街道沿いのお店のひさしに小
さな枝を集めて巣づくりをはじめている最中でした。なんだか打ち合わせ
がうまく行っていないようで、2羽の親ツバメは大声で鳴き合いながら興
奮状態で巣作りを急いでいるようでした。
鳥インフルエンザの時もそうだったのですが、周辺を閉鎖してその周囲の
数千羽、数万羽の鳥を処分する。これってどこかの軍事政権がやったこと
に似てるように思えてしまうのです。自分たちの利にそぐわないと言うだ
けで誰かが判断して、それらそぐわない命をすべて奪ってしまう・・・。
今回の宮崎の口蹄疫で処分(殺戮)さたら動物たちの数は、すでに8万頭
を越えたようです。これはなかなか現場にいないと想像できないかも知れ
ないですが、敷地内にパワーシャベルで大きな溝を掘って、そこに殺戮し
た動物たちを放り込んで行く作業がすすめられています。
そこには壮絶な命の殺戮があるのです。そこで、都内の住宅地を仮の場と
想定してみると、よりいっそう具体的なイメージになるかも知れません。
【仮装情報】
ある日都内の猫や犬に新型のウイルスの感染が広がりはじめ、東京23区
の動物はすべて処分されることになりました。
各家庭で家族のように飼われているペットも処分対象となり、都内23区
からの移動も禁止され、農林水産省と都の発表によると、各県からの獣医
師派遣をこの先も順次増やして行き、各家庭に派遣してペットの注射での
処分を開始した。
こんなことを、許すことが出来るだろうか?
私だったら、大切な動物を他人に渡して処分(殺戮)させないだろうし、
一気にその政策にレジスタンス的な動きを作って行くだろう。近くの犬や
猫をあつめて何処かに隠して、守って行くシェルターを作るかも知れない。
これは、犬や猫たちの本来の天命の日まで、生かしてあげたいと思ってい
るからです。
もし、私が宮崎で酪農業をやっていたら、今の処分(殺戮)法よりもっと
医学的で免疫学的な対処法を望んで、旗を上げたでしょうね。
さて、今日も明日も続く屠殺をだれも不思議に思っていないのだろうか。
世も果てだ。自分のまわりにこの状況が迫って来なければ、想像すらもで
きない人たちばかりなんだろう。
もし、これが都内のペットに及ぶことになれば、そのペットのほとんどの
飼い主は発狂状態になるだろう。しかし、そんな中でも私だけは今回の牛
の場合と同等の悲しみにくれているだろう。
8万頭の牛たちがある日突然、人から強制的に殺されて行く日本。これは
経済論や風評被害論で考えてもらいたいと言っているのではない。
動物たちも私たちの仲間だと言いたいのだ。
動物たちにも「病みながら」も天命まで生きて行く意味があるのです。
サッチモ(ルイ・アームストロング)は今も嘆いているに違いない。
私は何か残酷なことを見た後は、いつもこの曲に癒されています。
ルイ・アームストロング:『What a Wonderful World』
(画面下の380Pを480Pに変更すると聞きやすいです)
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