筑紫哲也氏の死は早すぎた。いやいや、私たちの動きが遅かったのかも知れ
ないと、今日一日、いろんなことを考えさせられた彼の死だった。
もし、このカナダ報告書が数年前に出版できていたら、彼は救われたかもし
れないと考えているからだ。あと10日ほどで私の元に届く『カナダ報告書』の原稿に、ガン治療の確信が書かれていることを信じているからだ。
この報告書の原稿が出来たら、真っ先に筑紫さんに読ませに行こうと考えて
いた。そのため、原稿を2部届けてもらうように手配していた。
筑紫さんとは、一度しかお会いしていないが、彼の番組に特番で2回出させ
ていただいた。一度目は日本海のナホトカ重油災害の報道特集で、2回目は
『NO WAR NO DU』広島人文字の特集番組で。
http://www.peace2001.org/2006/main/bow/20080824_bow_01.html
去年の5月の「NEWS23」の中で、筑紫さんがガンになったと話した時は、私の中にその解決策は有るようで無いような状態だったが、今は違う。
惜しい人を亡くした。私は痛切にその責任を感じている。
『すでに私はその知識に満ち足りている』と言う責任を自覚しているからだ。
ガストン・ネサーン氏に訪ねた『カナダ報告書』は、もうすぐ出来上がる。
この報告書が出来るまで、どれだけ多くの人が闇夜の中で彷徨い続けるのだ
ろうかと考えると、私たちのこのプロジェクトの重みが肩にのしかかる。
もう少しだ。この本を待つ人に渡せるのは。
しかし、惜しい。ジャーナリストの筑紫さんにこの原稿を読ませたかった。
彼と、どっぷり、生きるってことも話したかった。惜しい。惜しかった。
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