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バウの道中記 2006年1月8日 歌舞伎町 |
【歌舞伎町三者会談】
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苫小牧から出航したフェリーは茨城県の大洗港に8日の昼過ぎに着岸した。この街から車なしで都内に出るには一旦水戸に出るしかないようだ。
フェリーターミナルの前には、水戸行きのバスを待つ人たちの長い行列が待ち構えていた。このまま最後尾に並んだところで、ぎゅうぎゅう詰めで座ることも出来ないだろう。
私は歩く楽しみを満喫することにした。鹿島臨海鉄道の大洗駅まで歩くことにしたのである。フェリー会社の職員に尋ねた所、10分も歩けば着けるだろうと駅の方向を指差しながらの説明だった。
冬の関東平野はいつも晴れている。これは今でも那覇空港で管制業務をやっている親友の知念くんがこぼしていた言葉である。その逆で沖縄の冬はいつもどんよりしていて、関東に住んでいる人が、うらやましいとよく言っていた。
この大洗も関東の端っこである。大きな空のどこにも雲一つなく、青空に覆われている。そういえば、知念くんと二人で日本初の本格的なカヌークラブ「エンプティーボトル」を23年前につくったのも関東だった。
日本列島の他の地域の何処にもない、関東平野の冬の晴天続きがもったいなくて、アユ釣りもいないこの時期に川を全部下ってしまおうと言うところから生まれたのである。
私はこの大洗の近くにある那珂湊港の河口まで栃木の黒磯から那珂川を5日かけてソロで下ったことがある。
那須高原に生まれた那珂川が上流域の山間部からだだっ広い関東平野に流れ出そうとする辺りが黒磯で、まだ岩場が続く細い迷路のような急流の瀬からカヌーに乗り出した。
深く切り込まれた渓谷から始まった那珂川は私の冒険心を小躍りさせた。ヤマセミのあの美しい姿からは、かけ離れてなかなか想像出来ない「ギャラ ギャラ」とひずんだ聞きづらい鳴き声も、大自然の中で不協和音ではない。
途中、大きな滝にも出会い、カヌーが通れない急流の細い流れにも出会い、その度にカヌーをザイルにつなぎ流したり、大きな岩をカヌーを担いで乗り越えたりしながら、やっとの思いで烏山の平野部に出ることができた。
烏山の「舟戸鮎やな」には、ゲストたちが美味しい鍋をつくって待ち構えていた。本当は私が料理をつくってゲストを迎えると言うのが本来のツァーなのだが、この時は上流部でカヌーのツァーが可能かどうか、確かめてみたいと言う、私のたっての願いをゲストたちが受け入れてくれて、待ってくれていたのである。
次ぎの日は栃木と茨城の県境を越えた御前山まで20人ぐらいのゲストを迎えて通常業務のガイドをやりながら下って行った。その後、そのまま一人で太平洋の河口部にある大洗まで下って行ったのである。
私にとってこの懐かしい23年前の川下りが、源流から海に至る川旅の原型となっていったのである。
この時期から私のカヌーの冒険旅行が本格的に始まった。
北の方では天塩岳から流れ出し、利尻富士を望むサロベツ原野に至る天塩川が印象深い。
この川は5月のゴールデンウィーク明けから川面の氷が溶け出す頃、まるで流氷と一緒に流れて行くような不思議な体験をやりながら海までの一人旅を楽しんだ。
北海道だけでもたくさんある。釧路川、十勝川、札内川、レキフネ川、美々川、石狩川・・・まだまだある・・・
と思っていたら、上野駅に着いていた。ここで山手線に乗り換えて今夜は新宿の予定である。それにしても山手線から見る街並は私にとって、まったく興味がないしろものばかりである。よくもまぁこれだけ狭い土地に豊かさを勘違いした人たちが集まったものだ。
落葉樹から落ちた一枚の葉が重なり合ってできた腐葉土の中で繰り広げられる土壌菌と昆虫の世界。そんな生態系から生まれる山並みの方が、私には精巧に見えるし、かつ美
しく豪華に見えるからである。
新宿南口の改札口には角ちゃんとしんじょんが待っていた。
ふたりとも半年ぶりのご無沙汰顔である。この日私たちはゆっくりのんびり時間をかけてこのウェブサイトの更新と、今後の相談も交えた話し合いをしようとしていた。
落ち着いた店を探しながら歩いた先は、なんと私が一番苦手な街の歌舞伎町であった。たどり着いたのは元区役所裏のフラミンゴという喫茶店で、まるでカワセミの巣を見立てた土手の小さな穴のような場所である。店の中はゆったりとしたスペースで周りの風俗店から隔離されている。
ここで私たちは夕方の5時から11時まで6時間も話し込んだ。私はその途中、トイレに一回立っただけでこの先の将来(将しく来る)いろんな想定について話しをした。
嬉しかったのは時間を忘れてこの二人と話し合えたことである。3人とも今から思えばこの6時間を1時間ぐらいにしか感じていなかったであろう。
しんじょんは、こんなことにお金を使えるのが嬉しいと言ってくれて、私に録音装置をプレゼントしてくれた。この装置を使って今後会って行く人のコメントを取り始めて欲しいという提案からだ。
角ちゃんとは特に生活習慣病についてどっぷりと話し込んだ。これは成人病の話しではない。慣れ親しんだ習慣というモノから、いかに見事に離れて新しい自分作りの価値観を探しに行くかという生き方の話しを、彼のこれまでの生き方を解説しながら具体的に話し込んだのである。
11時になったので、このままどこかで泊まって一緒に話したいと言われたが、私の体力は限界に近づいていたので分かれることにした。
車を運転していた頃の私のパターンは、このまま勝どき橋を渡って港近くの暗い場所で寝て、築地で朝ごはんと言うのがお決まりだったが、この日は情けなくも区役所横の老舗サウナに寝ることにした。
歌舞伎町は私に悲しく話しかけて来た。
「もう来なくっていいよ・・・」 |
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