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バウの道中記 2006年1月14日 武雄 |
【自衛隊に入ろう?】
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12日の夕方6時、薄暗くなった東京お台場。私は遠く離れていく観覧車を見ながら門司港行きのフェリーに乗った。
またも懲りずにフェーリーに乗ったのだ。これで今年になって早くも3回目の船旅となる。
この3回の航行距離をこまめに調べてくれたスタッフがいて、敦賀〜苫小牧東が948km。苫小牧西〜大洗が758km。今回の東京湾のお台場〜門司港の1163kmをたすと、
2869kmで、年末の広島港〜呉〜松山港の往復距離を足し算すると、船旅だけで3003kmとなるらしい。
報告はこれだけではない。3003km移動するのにかかった金額を/kmで出してくれたのだ。なんと言う細かい・・・? いや!違った、丁寧さなのだろう。
通常の運賃では、全部で35300円かかるが、私の場合目が不自由だと言うことで身障者手帳が使えたので、その普通運賃の半額割引で17650円という金額となり、これを航行距離の3003kmで割り算すると、1kmあたりなんと6円もかかっていないと報告されていた。
と言う訳で、今回も「花のお台場」から北九州行きのフェリーとなった。ただ誤算だったのはこのフェリーは東京を出た後、淡路島に近い徳島港に立ち寄るが、その後『間違いなく』波の小さな瀬戸内海を通って門司港に行くものと私ひとりで勘違いしていたことだ。
今回の船旅は伊豆半島を越えて、紀伊半島に差し掛かった辺りから大きな波が現れてたが、徳島港に着く頃はうまい具合に波が納まり、これでいつも波が小さい静かな瀬戸内海に入っていけば、今回こそ船酔いからまぬがれると喜んでいたが、その後船はまた大しけの太平洋に『わざわざ』出てしまったのである。
このコース取りは私にとって『わざと』としか思えない。
徳島港を出た船は室戸岬に出る前から左右に揺れ始め、時折り船体をジャンプさせたかと思っていたら、ドスーンと真下に落ちて、船底から激しいスクリューの空回りの音が聞えてきたり、それはそれは大変だったからである。
足摺岬を越えて、九州と四国の間に入った豊後海峡の手前から波は少しづつ落ち着き始めたが、もう遅い。私はまたも悪夢の中でヘベレケに酔いつぶれてしまっていた。
門司港に着いたのは14日早朝6時頃だった。この日の車なしの2等乗客はヘベレケの私と、もう一人の見知らぬ若者で、二人でタラップをヨタヨタしながら歩いて外に出た。
彼も今までの人生でこれほど酔いつぶれたことはないと苦しそうに言っていた。外は久々の冷たい雨である。二人はまだ薄暗い門司港から最寄りのJR門司駅まで一緒にタクシーで乗り付けることにした。
門司駅は時々通勤らしい人がいるぐらいで、まだ閑散としていた。今日の目的地は佐賀の武雄温泉の近くの山内町だ。
そこまでだったら、ここから特急に乗れば2時間ちょっとで行くだろうと考えたのが気のゆるみの初期段階だった。
狭い改札口のキオスクの前にあった背もたれが無いベンチで少し休んで行こうと思っていたら、このベンチから立ち上がることも出来ずに、なんと早朝の6時半から10時半まで4時間も動けずに座り込んでしまったのである。
それも前者の若者と仲良く一緒にである。それも二人してうなだれた哀れな姿勢のままである。
その彼は阿蘇地方の自衛隊の演習地に勤めているらしく、いつの間にか私と時折思いついたように、ボソリボソリと不思議な会話をやっていた。
「自衛隊に入ろうっていう歌、知ってるか?」
彼は黙ってうなだれたまま首を振る・・・10分ぐらいたっただろうか・・・「いつごろやめるの?自衛隊」「もうすぐ免許がとれるから・・・」私は黙ってうなだれたままうなずいた。
彼は言う「自衛隊が嫌いなんですか?」私はうなだれながら首を振る・・・10分ぐらいたっただろうか・・・ 「ほやから軽い気持ちでええから、辞めたほうがいい」
彼は黙ってうなだれる。
「どんな仕事?」しばらくして彼が答える「弾薬関係・・・」しばらくして「上のやつはええやつか?」彼は首を振る・・・10分たって・・・「やっぱ、はやく辞めろ」
「ほかの仕事さがしたらどうや?」彼は軽くうなずく。
私は彼に尋ねてみた。
「あんたら何を守ってるか、知ってるか?」彼はうつむきながらうなずいた。「国を守ってると思ってるんやろ?」
彼はうなずいた。
私はつづけた「あんたは 国、守ってるのと違う」「あんたらは国家と言う政府の機能を守ってるだけや」彼は鋭い目線をこちらに見せつけた。
15分ぐらい時間が空いただろうか、彼は自販機で暖っかい缶コーヒーを買って来てくれた。
「ちゃんと考えてみ」「国境がなくなって困るのは政府関係者だけや」「国家を運営したいと思ってる人だけや」
「いつまで隣同士の村争い やって行く気ぃなんや」
「もう境目なんかいらんやろ 国境なんかいらんやろ」
彼は「むつかしいすぎる」と言って話題をさけた。
「だから、軽い気持ちでええから、すぐにでも自衛隊辞めたほうがいい!」「軽いとこで ええんやから」
10時頃、彼の体調が戻ったようだ。
「おじさん ありがとう 考える」と言って彼は改札口に消えて行った。たったこれだけの会話しか出来なかったが、彼はあったかい何かを感じてくれたようである。
私は昨年8月から9回目の佐賀県訪問となる。
3時を過ぎた頃、佐賀県の武雄温泉の駅に着いていた。
武雄温泉は九州で一番お気に入りの温泉である。朱塗りの古い楼門から入る元湯にはこれまで20回以上も入っただろう。
今回武雄に来たのは『第63回 月の祭り』に参加するためである。『月の祭り』とは21世紀に入って63回目となるこの満月の夜に、仲間たちとのんびり集まろうというものだ。
細かい約束も取り決めも何もない、いたって原始的な、何か遠い昔からあるような、小さな集合体を思い起こさせる暖っかい集いである。
今回のコロクル(呼びかけ人・アイヌ語で村を持つもの)は山内町に住む山口武美さん裕子さんの仲良しご夫婦だ。
実はこの二人が佐賀県の各市町村のキーパーソンを私にこまめに紹介してくれたおかげで佐賀の『弁当箱の会』が生まれた経緯がある。佐賀県ではすでに県下の3分の2以上
の市町村を取りまとめる草の根の窓口担当者が名を連ねてくれている。
山口武美さんは十数年前まで大手家電量販店の店長をやっていたが、業績を上げていくには、新製品を売る、そのたびに今まで家にあった古い家電製品がゴミと化していくという悪循環のサイクルに疑問を持ち始め、バブルの最盛期に経済活動の最前線とも言える家電チェーン店の店長まで登りつめながら、いち早く退社したという面白い人物だ。
その後彼は農業をやって行くという方向性を探し出して、農協の職員となり、まずは地域住民との間の信用を固めて行き、その後独立して現在はこの春、市町村合併する武雄
市と山内町と北方町を合わせた地域の中で、一番広い耕作面積を持つ農家となった人物である。
これを昔の言葉でたとえるなら「一代で豪農」と呼ぶことになるのだろう。
その彼の『農協勘』は、今や全国の農協は合理化策からどんどん統合され合併されて行き、巨大化されて商社化した部分と金融バンク化された、はざまの中で、本来の意味合
いが失われてしまったと言うものだ。
だから、もう一度小さな地域から、まずは農業専業で食べていけるという部分を丁寧に創って行き、それと同時に最小のコミュ二ティーから大切にしていきたいと彼は思い始めたらしいのだ。
彼の感性は面白く、大らかで、バランス感覚がありそれでいて鋭さもあり、「肝心要」の行動力も持ち合わせている。
これは彼が今まで何かを誠実に問いかけつづけて来た結果だろう。分かりやすく言うと、ご褒美なのだ。
そんな彼は大切な『鍵』を持っている。パートナーの裕子さんだ。彼女は町会議員をやりながら、てんつくマンを地元に引き寄せたり、こんな私に呼びかけてくれたり、相方に遠くのモノを感じさせるための努力を惜しみなく、楽しみながらやって来た人物で、この地域の社交的な隠れボスでもある。
今日は2部構成でやるらい。場所は山内町の山の中腹にある『アトリエきらく』。4時からは新しいメンバーを迎えた『弁当箱の会』の説明会。それが終わってからイノシシ鍋を囲んでの『月の祭り』となるらしい。
4時からの説明会には、鳥栖市の三谷さんと以前から珍しい名前だと噂していた基山町の埋金(うめかね)さんと、長崎の焼き物の町の波佐見町から来た鶴田さんとを迎えていつものように、私が持ち込んだパソコンをのぞき込みながらの話しとなった。もちろん二人とも0Kである。それぞれの市町村を受けもってくれることになったのだ。
説明会が終わって、ふと振り返ったら広い部屋いっぱいに人が集まっていたので驚いた。20人以上だろう。佐賀県内のキーパーソンたちが集まってくれたのだ。
隣にいつの間にか、九州の私の主治医のみっちゃんが、その隣には三上婦長が、山崎さんも、たかちゃんも赤ちゃん連れて・・・・・
九州がやっと動き出したのだ。
私のココロは踊り出していた。
昔創った『詩』が蘇って来た。
鳥は 大空の全てを知ってから 飛び始めない
魚は 深海に至る全てを知り尽くしてから 泳ぎ始めない
まずはと 気付いた私たちが動き始めた
それぞれに一番ふさわしい 役割と今と場所を得て
この場に集まった人たちの人柄などは、いずれこのサイトでアップする予定の【ヒト博物館】で紹介していくことになるので楽しみにして欲しい。 |
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