頼まれていた原稿に5時間も没頭してた時、いつものようにmac がポロンと
鳴って、メールが届いたようなので、締め切りの時間が迫っていたので すが、え〜い!気分転換じゃ〜と、メールを開いてみたら、うれしい報告が届いて
いました。
メールの送信相手は、いつも相談し合っていろんなことを二人でやって 来た
大阪のたけちゃんからです。
30になったばかりの青年ですが、はたして私の30の時に、こんなに しっ
かりモノだったとは思えず、ついつい感心して応援したくなってしま う、い
つも私の真正面に立ってくれている相棒のような存在です。
たけちゃんからの、ほのぼのとした報告をお読み下さい。
参考サイト:『日本と韓国が原爆の火でキャンドルナイト』
【乗り越えて、平和な心で一つに・・・】
http://www.1pi-ce.jp/files/PeaceGreen/PressRelease11.20.pdf
私も来年のキャンドルナイトは、ハプチョンに行きたくなってきました。
広島の○●ちゃん、一緒に行きませんか? 広島からの代表で?
↓ここから↓
バウさん
日韓クルーズから昨夜帰ってまいりました。
今回、私は本当に迷い続けました。
日韓で平和の火でキャンドルナイトをする場合、ただこの火を知ってもらう
だけでは、だめだと思い、そこに意味を付けようとしたのです。
この火は、乗り越えるという象徴、平和を願う心の象徴といった風に。
でも、どんな意味をつけようとしても結局どこか違和感を感じ、最終的に僕
はただ意味が必要で、それを無理やり付けることで体裁を整えようとしてい
ただけであり、意味をつける事で、この火のありのままの事を表現する事は
できないという事にきづきました。
バウさんが心の意味を考えることに意味がないとおっしゃっていた意味が、
ようやく分かった気がします。
船の上で一切交流せずに海を見ながらじっと思考と心を観察していたら気付
く事ができました。
ですので、今回僕は特に主張せずに、星野村に火を一緒にとりに入ってくれ
たピースフレンドの若者に火についての経緯と自分が感じた事を語っていた
だき、あとは受け取る人の感性に任せる、というスタンスで望みました。
クルーズの上で、平和の火のワークショップを行った際、唯一、僕が 語った
のは、「たった一人でいいので来年一緒にキャンドルナイトをやってくれる
韓国に住んでいる方と出会うためにクルーズに参加しました。」という事で
した。
すると、そのワークショップの後、一組の夫婦が僕のところに来て「私達が
来年やります」と言ってくれました。
在韓被爆者が多く住んでいる陜川(ハプチョン)の役所で働いているご夫婦
でした。平和公園の設立も予定されているとの事なので、この火が灯されれ
ばという話を一緒にしました。
このご縁を大切に、来年丁寧に韓国のキャンドルナイトを成功できればと思
っております。
キャンドルナイトは釜山と広島で行いました。
釜山は、ピースボートと民主公園が共催し、韓国側がこの釜山で
ほとんど下船してしまうということで、実質日韓共同で行うクルーズ最後の
プログラムとしてとても盛り上がりました。
広島は、私が中心となり日本側と釜山で下船せずに残った僅かな韓国人とで
開催しました。ここでは、日本が行った歴史的事実と亡くなられた方々の
心を見つめ、平和公園の韓国人被爆者慰霊碑の前で静かに行いました。
クルーズの中で、ミュージカルを行っていた団体に、脇役に徹して祈りの歌
を歌ってほしいとお願いした所、ハングルで静かに歌ってくれました。
故郷を偲びながらなくなっていった亡くなられた魂に歌声が届くような気が
して、本当に嬉しかったです。
キャンドルナイト終了後、韓国人の方が私に抱きつき、「ありがとう。あり
がとう・・・」と慰霊碑を指差しながら涙を流して何度も何度もお辞儀をさ
れました。
その人は本当に泣き崩れていたのです。
その涙を見たとき、僕は日本が韓国の方々に与えた心の傷の深さを今までで
一番感じました。
さまざまな文献や映画や実際にデモに参加したり、慰安婦のハルモニの話を
聞いた時よりも最後の最後に本当の深さを僕は感じる事ができたと思います。
↓昨日の様子です。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200811290026.html
この度はいろいろとアドバイスいただき、ありがとうございました。
ご報告でした。
吉澤武彦 Takehiko Yoshizawa
C°(シード) http://www.c-do.jp
Candle Night 1 Pi:ce http://www.1pi-ce.jp
VIVA! CUBA×JAPAN FIESTA http://www.1pi-ce.jp
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