広島の平和公園から中央公園にかけて、この年末もたくさんのホームレス
が集ったと、広島の情報通の中川けいこ孃のブログに書かれていました。
何年か前は、私もここでその一員として生活をしていた時期があったので、
その寒さが骨身にしみていて、人ごとではありません。
私の場合は、生活をする場所がないからそこにいたのではなく、表向きは
広島の平和活動の重鎮たちと会って、話しをしたいがために広島に入って
行き、人が寝静まった頃にその周辺で寝袋の中で寝て、朝を迎えるという
生活パターンを繰り返していたのです。
そんなある日、いつも近くで寝ている仲間から誘われて、「もうすぐ来る
から行こう!荷物はそのままでいいから、ホラ、すぐいくぞッ!」
その仲間は、市民球場の川の方に向けて駆け出したのですが、その先には
一台の車が止めてあって、そこにたくさんの人が集り出していたのです。
そこに集った人たちは、みんな楽しそうな雰囲気を醸し出していました。
これが私の記念すべき初の経験となりました。
それまでの私は、西成の三角公園や神戸元気村や各地の被災現場で炊き出
しをヤル側に立っていたのですが、その夜はじめてたくさんの人といっし
ょに列の中に並んで、暖かいお弁当と熱〜いスープをもらったのです。
これは、格言じみた言い方に聞えるかも知れませんが、
『ヒトは 時に逆の立場に立て』ですね(笑)
この時のお弁当のおいしかったこと!スープのうまかったこと!これらは
私のそれまでの経験の中にひとつもなかった感動まで与えてくれました。
私はお弁当を食べるの止めて、次ぎの配る場所に向かおうとする車の誘導
役になって、助手席に座っておられた女性にいろんなことを聞こうとした
のですが、その女性は、ニッコリ笑って「米田です。何か手伝ってくれそ
うな人ですね。次ぎは再来週の土曜日にまた来ますので、その時手伝って
下さい」と言って走り去ったのです。
あれから今年で9年も経つのですが、米田さんの音信をやっと広島の中川
けいこ姫(笑)のブログ上で見つけました。<http://necocafe.exblog.jp/>
もともと、私は世帯道具が段ボール5箱あれば足りる部類の人間なんです
が、特に服は少ない数しか持っていません。が、勇気を出して少ない冬服
の中からこれはと思う服を広島に送ることにしました。
あの時の広島の公園の寒さを覚えていたのと、あの夜の米田さんのご恩が
忘れられなかったからです。
家の中にお米券、ホカロン、あまり着ない冬服などありましたら、もちろ
ん財布に少しだけ余りそうなお金があった場合も、どうかご協力下さいま
すようお願い致します。米田さんご夫妻をどうか応援して下さい。
多くの場合、こんな時は宗教や組合系や政治が絡んで来るのですが、米田
さんご夫妻はそれらのバックボーンをまったく持たずに、すでに22年間
もの間、素朴なまま、年末年始だけではなく、通年で隔週土曜日の夜にや
って来られました。これには頭が下がります。すごいことだよね!
夜廻りの会廿日市:
http://www.a-net.shimin.city.hiroshima.jp/www/contents/1019817671111/
去年の年末からの私は、群馬県の太田市という田舎の工場地域に出没して
忙しくしていました。ブラジルから来た日系2世や3世の人の就職活動の
お世話や不動産屋さんとの仲介、行政マンとのやりとりのお手伝いなどを
しています。
この5日ぐらい前に、ブラジル大使館に一度この現状を見て欲しいと訴え
るために東京まで説得に行って、大使館のナンバー2を太田まで案内する
ことが出来ました。このことがきっかけで、群馬の若い人たちも動き出し
てくれましたので、これから先が楽しくなりそうです。
この先も、大使館と日系の人と地元の人の間に入って、お世話係をして行
こうと考えながら、春を待ちこがれている毎日です。
|