私の視力が落ちてから、すでに8年ぐらいたったでしょうか。この視力が無
くなってくる症状は、私にとって例えようのない不安がありました。
パソコンの文字が見えない。これは文字を一番大きくしています。でも画面
から目までの距離は15センチといつも首が前のめりで悪い姿勢で打ってい
ます。
コンビニが探せない。夜になると特に見えなくなるので30M先のコンビニ
の電光看板も見えなくなるのです。始めて行った場所ではいつも困っています。道を教えてもらっても、そのコンビニが見つからないのですから。
映画を観にいっても、私は劇場の中のだれよりも首を動かしています。これ
は字幕スーパーを読むためで、そこでラジオ体操をしている訳ではないのです。車の運転をやめた。免許所の更新ができなかったのです。
がしかし、目が見えないと言うことにやっと慣れて来ました。
もうなれっこなのです。そこでなれっこついでに、少し無理をすれば、まだ
文字が読めるので、読みたい本を今のうちに探すことにしました。
私は今まで作家という職業の人に6人会ってきました。その6人の作家の中
で、これはという人は一人しかいませんでした。その人が司馬遼太郎氏だっ
たのです。司馬さんはおいしいうどんを3回おごってくれました。
だから司馬さんの単行本はほとんど読ませていただきました。
つい数日前のことですが、この司馬さんに出会った時と同じような、ある種
の感動がある作家とまた出会いました。ところが彼女はすでに亡くなられて
いて、その作風しか感じることができないのです。ですが、何とか彼女の本
を探して彼女の短編を一冊読み終えることができました。
いや、すこし話しを戻しましょう。この一冊を読んでいる最中に、近くの図
書館に行って、彼女の本を5冊も借りて来たのです。
そうです。司馬遼太郎氏が書き残された本をほとんど読んだ私が、今度は彼
女の書き残した本を全部読みたくなったのです。このように一人の作家に惚
れ込み、その足跡を旅するのは私にとって2回目なのですが、それほど彼女
の作品にこころを動かされたのです。
会いたかったなぁ〜・・・安房直子さんに・・・・・。
では、文庫本の小さな文字で読みづらいのですが、ひと文字づつ打ち込んで
いきますので、ほんのさわりの部分だけでもお楽しみください。
この『きつねの夕食会』は講談社文庫の『南の島の魔法の話』から転載させ
ていただきました。私にとってこの本の面白さは、今まで私がいろんな場所
でいろんな人に出会って来た、それらの場所や人がそのままの形で出ている
と感じさせられたことです。
第1話の『鳥』に登場するお医者さんは、横浜の萩原 優先生にそっくりでう
れしくなってしまいました。萩原先生と親しいおつき合いをしている人はき
っとうなずくでしょう。そうだそうだと。
第2話の『ある雪の夜の話』は、りんごが雪に落ちた話しで、いつもフラン
ス語の翻訳でお世話になっている弘前の松山さんを思い浮かべてしまいました。
第3話の『きつねの窓』は、親指と人さし指を染めてつくる菱形の指の窓の
話しで、染めの話しですから笠岡の「あるでばらん」のしゅんくんを思い浮
かべてしまいました。
何をここで言いたいかと言えば、童話はいろんな経験や体験をやってきた人
にとっては、たいへんおもしろい戯曲となる。ということなんです。
さて、下にご紹介する『きつねの夕食会』を、みなさんはどんな人を思い浮
かべるのでしょうか?
では、ほんのさわりだけですが・・・(最後までは書いていません)
安房直子さんをお読みください。
講談社文庫『南の島の魔法の話』 第10話『きつねの夕食会』
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あたらしいコーヒーセットを買ったので、きつねの女の子はお客をよんでみ
たくてたまりませんでした。
「ねぇ、おとうちゃん」ある朝、むすめのきつねは、おとうさんのきつねに、いそいそと話しかけました。
「こんど、うちへお客をつれてきてちょうだい。夕食会をしたいの」
これを聞いて、きつねのおとうさんはびっくりしてしまいました。
「夕食会だって?」
もうすこしで、ひざから新聞がすべりおちるところでした。
「そう。だって、ほら」
と、むすめのきつねは、戸棚にならんだコーヒーカップをゆびさしました。
それはついこのあいだ、むすめにせがまれてとうさんきつねが、やっと手に
いれてきたものでした。
「せっかくのあれ、つかわなくっちゃ、つまらないもの」むすめが、あまっ
たれた声をだしたものですから、とうさんは思わず「うん、うん」とうなず
いたものの、心の中では、お客なんて、バカげたことだと思っていました。
だいいち、ごちそうが倍へるのです。そこでとうさんぎつねはいいました。
「それじゃあ、うまそうな、にわとりがお客ってのはどうかね。たっぷりご
ちそうしたあと、こっちがごちそうになるのさ」
これはいい考えだと、とうさんぎつねはおもいました。が、むすめの方は首
をふってまるで聞き入れません。
「だめ、だめ。そんなんじゃなくて、もっとべつの・・・」
「べつの?」
「そ、たとえば人間」
きっぱりときつねの娘はそういいました。まるではじめからそう考えていた
ように。
「そうなの。人間のお客を一度よんでみたいと、あたし、ずうっとまえから思ってたの」
「いいかいお前、きつねと人間がいっしょにごはんを食べるなんて、とても
むりな話しなんだよ。人間は人間。きつねはきつねなんだから。ずうっとま
えからそう決まっていたんだから」
「うん、そりゃ、このままじゃだめよ。だから、私たち、ばけるの。とびき
りじょうずにばけて、人間になっちゃうの」
「ううん・・・・・」きつねのとうさんは腕組みしました。
「それで、お客は何人よぶんだね」
「ええとねコーヒーカップが六つあるでしょ。あたしたちの分をひくしょ。
それでねえ・・・ええとね・・・」
「六ひく二は、いくつだったっけね」
新聞をたたみながら、とうさんぎつねは聞きました。算数のきらいなむすめ
のきつねは、両手をひろげて指をおりはじめました。
「足し算じゃないよ、引き算だよ」
けれど、子ぎつねは、頭の中がくしゃくしゃしてきたものですから、きいき
い声でさけびました。
「人数なんてどうでもいいの。とにかく人間のお客さま!ね、おとうちゃん」
わがままな子ぎつねでした。そして、子どものいうことは何でも聞いてあ
げる、やさしい、とうさんぎつねでした。
「やれやれ」と、とうさんぎつねはつぶやきました。
細い山道が里の方へつづいています。夕暮れでした。
その道をとことこ降りて行くひとりの男の人がありました。洋服をきて口ひ
げをはやしてばかにすましこんでいますが、それはたしかにあのきつねでした。村にはもうぽつぽつとあかりがともって、それがすすきのほかげから小さくまたたいてみえました。きつねは、ほっとためいきをつきました。
「わしも若い頃には、人間にあこがれたものだった」
あの子と同じようなことを、このとうさんぎつねも、むかしは考えたのでした。人間とあそんでみたいとか、人間の学校に入りたいとか、人間のお嫁さんをもらいたいとか。でも、けっしょくどれもかなわずじまいでした。
(こんどは、うまくやってやろう)と、きつねは思いました。
はじめ、とうさんぎつねは、このお客ごっこに、あまり熱心でなかったので
すが、むすめにつられて、あれこれ考えているうちに、自分もすっかりむち
ゅうになっていました。あれから親子のきつねは、いく日もくふうにくふう
をこらして、家の中をかざったのです。それで、くらいきつねの穴は、すて
きな応接間にかわりました。
さあ、いそいでお客を探さなくては、と、おもいながらとうさんぎつねは村
の入り口にさしかかりました。と、畑の方からひとりの若者があるいてくる
のがみえました。
「しめしめ」きつねは両手で頭をなでつけました。それから人間に近寄ってそっとよびました。
「もしもし」わかものは、立ち止まってきょとんとこのへんな男をみつめました。
「今夜、うちで夕食会をします。たくさんごちそうします」まえから、なんどもなんども練習してきたこの言葉を、きつねは本でも読むようにいいました。
「はぁ?」
わかものはしばらく、しげしげと相手をみつめていましたが、いきなり、
「けっ、けっ、けっこうです」
と、まるでにわとりのような声をあげて、かけていってしまいました。
そのあと、大きなふろしきをしょった行商人だの、ほっかむりしたお百姓だ
のが、とおりましたが、どれもおなじことでした。にげだしたりしないまで
も「いま、いそがしいんで」と、すたすたいってしまったり、「その手にゃ
のらないよ」と、にやっとわらったり。
とうさんぎつねはこまってしまいました。お日さまはもうすっかりしずんで、あたりはうすむらさきでした。
「どうも、ぐあいがわるいなあ」とうさんぎつねはうなだれました。
それから、ふっと見上げますとこれはいったいどうしたことでしょう。
目の前に店がいっけんあるのでした。まるで、たったいま、風がはこんでき
たような、ちっぽけな店が。
きつねは目をぱちぱちさせました。
「どうしていままで気がつかなかったんだろう」
すると、店の中からあいそのいい声がしました。
「たったいま、あかりをつけましたものですから、はい」
「なるほど」
と、とうさんぎつねはうなずきました。
「うすくらがりの中に、あかりをつけない店がいっけんあったって、こりゃ
きがつかないはずだ」
店のあかりは、青白い蛍光灯でした。その光にてらされて「電気屋」という、かんばんの字が読めました。
「あぁ、そういえば」
と、とうさんぎつねは思い出しました。いつかのコーヒーセットも、やっぱ
りこんな夕方に人間にばけて、こんな感じの店で買ったのでした。
しばらくぽかんと立っていると、店の中から、
「やぁ、だんな」
と、人なつっこい声がして、見覚えのある顔がひょいとのぞきました。
「いらっしゃいまし、まいど」
両手をこすりながら出て来たのは、なんと、いつかコーヒーセットを売って
くれた男でした。きつねはびっくりしてたずねました。
「いったいいつから電気屋になったんだね」
すると、あいてはすましてこたえました。
「はい、わたくしども、せともの屋でも、電気屋でも、すきなときにすきな
店を開くんです」
「なるほど」きつねは、すっかり感心しました。人間というのはたいしたも
のだと思いました。
「ところで、いつかのコーヒーセットはいかがでしたか」
「あぁ、あれね、むすめがそりゃあよろこんでね」
「そうですか。それはけっこうで。ところで、電気の御用は・・・」
電気屋は店の中を指差しました。
あかるい光の中に、ふしぎな品物が、ずらりとならんでいました。手の平に
のるラジオとか、銀色の湯沸かし器とか、スイッチひとつでゆで卵ができる
機械とか、どれをとってもまるで、まほうの道具です。
「ほう」
とうさんぎつねは目をほそめました。どれもこれも欲しいものばかりです。
そしてどれを買ってかえっても、あの子は飛び上がってよろこぶでしょう。
とうさんぎつねは、わくわくしながら品物をながめました。そして、さんざ
んまよったすえ、小さなチャイムをひとつ買うことにしました。
「はいはい。これをお玄関につけておきましたら、お客さまが来たときとて
も便利です」そう言うと、店の主人はチャイムのまるいボタンを押しました。ポポポーン。つづいてとうさんぎつねも、ポポポーン。チャイムはまるでつぼみが開く時のような、さわやかな音をたてました。
「これはいい。うちのむすめは、お客すきでねえ。これをとびらにつけておけば本式だ」
そうつぶやきながら、ふと、とうさんぎつねは夕食会のことを思いだしました。(そうだ、まだお客をみつけていなかったんだ)
これはこまったとおもいました。
が、このときおもいがけず、つごうのいいことになりました。電気屋はチャ
イムを箱に入れながらこんなことをいったのです。
「では、このチャイムをおたくのお玄関にとりつけますのに、わたしがおと
もいたしましょう・・・」
「・・・・・・」
きつねは、ぽかんと、電気屋をみつめました。
「はい、チャイムをつけますのに、ちょっとした工事をしなくてはなりませんので」
「なるほど」
きつねは、うなずきました。
それから、にっこりわらって、
「では、ついでに今夜は、うちで夕食を食べていってください。うちのむすめはお客すきでねえ」すると電気屋は目をまんまるとしました。
「ほ、ほんとですか!」それからまるで子どものように躍り上がりました。
「わたしもお客にいくのは、だあい好きなんです」
チャイムをもったお客をつれて、とうさんぎつねがやっとかえったときは、
もうすっかり夜でした。が、きつねの家からはあかるい光がこぼれ、ごちそ
うのにおいがあふれていました。
「おかえり、おとうちゃん」
はずんだ声と一緒に、人間の少女がとびだしてきました。まったくじょうず
にばけたものです。きつねのむすめは、まるでひなぎくの花のようなかわい
い少女にかわっていました。とうさんぎつねは目をほそめました。そして
「ほうら、お客さんだ」と電気屋さんを紹介しました。
「おまけにこの人は、うちのとびらにチャイムをとりつけにきたんだよ」
それを聞くとむすめは手をたたいてよろこびました。
「うれしいわ、すぐにつけてちょうだい」
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