福井県の永平寺の山門近くに住む友人から小包が届きました。
彼は禅宗の住職もやっておられ、相変わらず毎日ほとんどを永平寺の中
で過ごしていますと、見事な墨字のメモに書かれていました。
この友人とはしばらく連絡が途絶えていたのですが、どうも私の住所を
どこかから入手したようで、そのメモの最初に『とうとう 見っけた』
と、嬉しそうに喜んでくれているような字体で書かれていて、彼の人柄
に触れさせてもらえたようで、懐かしく感じてしまいました。
その彼が送ってくれた小包の中には意外な本が一冊入っていました。
『船首漂着』〜重油流出と過疎化のはざまで〜著者西野慎吾
私が持っているよりこれはやはりバウさんの手元に置いて欲しいからと
書き添えてくれていました。
この本が発刊されたとき、私にも西野さんから一冊送られて来たのです
が、その後NHKの『プロジェクトX』のプロデューサーにお貸しして、
その方が紛失されたようで、私の手元から消え去った本だったのです。
西野さんは大阪の医科大の大学院まで進まれて、その後家業を受け継が
れ、三国町の安島(あんとう)という小さな漁業中心の集落の中で開業
医をされてこられた人物で、私が安島でお会いした時は福井県医師会の
代表をされていた時期でもありました。
西野さんの書き残されたこの『船首漂着』は、メディアが伝えきれなか
った「ナホトカ重油流出事故」を地元のまとめ役から見たそれらの状況
を、こまめに書き留めた貴重な本で、それも初版を数千冊単位で印刷さ
れたのではなく自費出版だと思うので、この本をなくしたことを大変残
念に思っていたのです。
送られて来た『船首漂着』の本は、固いカバーに入っていました。この
ようなカバーも今の書店にはもう少ないでしょう。いつまでもこの本を
後世に残したいと言う著者の思いでこの固いカバーをつけたのでしょう。
表装は薄いピンク色のシルクの織物でおおわれていて、その表面には日
本海を思い描かせるダイナミックな大波がプレスされて、波が浮き立つ
ように見える工夫がされていました。
実はこの本を私はまだ読んでいなかったのです。だからこの本が到着し
た一日で一気に読んでしまいました。
面白かったのは、重油回収が一段落して2週間目ぐらいたった頃だと思
うのですが、お年寄りが多い安島地区の公民館に歌手の「松山恵子」さ
んをお呼びして慰労会をやったことが最後の方で詳しく書かれていた事
です。
若い人には知らない人が多いと思いますが、さて誰を呼ぶかとなった時
に、この集落で一番喜ばれる人ということで、私が白羽の矢を放ったの
が松山恵子さんだったのです。もちろん、公演当日の公民館は大盛況で
した。残念ですが松山さんは2006年に亡くなられたようです。
この本はプロローグから始まり全部で91章あるのですが後書きの91
章の一つ手前の90章に「山田和尚さん晩餐の宴に現れず」という章が
あって、松山さんを囲んで最後の打ち上げ会をやることが決まっていた
のですが、そこにやはり私は現れないので、「あの人はそういう人なん
です、いつも知らない間に消えてしまう人なんです」という誰かの言葉
が書かれていて、私の生き方をよく表していると感心させられました。
私のニックネームは「バウ」です。これは日本でカヌーの文化が始まっ
た頃にカヌー業者や仲間たちから呼ばれた愛称です。「バウ」の意味は
船首です。
安島の沖合に流れ着いた『船首』。この視察に来られたその当時厚生大
臣だった菅直人氏は、丘の上から沖合の船首と案内役の私を見比べて、
「このバウとあのバウ。すごい対局だねこれは」と感想を話されました。
面白かったのは、この時SPに囲まれて県知事や役人関係の人たちがぞろ
ぞろとたくさん着いてこられたのですが、菅さんが選んだ案内人は、重
油で真っ黒になった服を着ていた私で、その他の人にはほとんど説明も
させなかったことです。
『船首漂着』は、ある意味で『バウ漂着』だったのかも知れません。
では少し場面が変わりますがその当時のニュースの特番をご覧ください。
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