以前、私が配給元になっていた映画の『Tibet Tibet』を復活させようかと考えていたら、大阪の友人から下記のメールが届きました。
4月から東京と大阪で『Tibet Tibet』の上映会を復活させたいと思っていますので、このことを機会に、なぜ、チベットと中国にこの問題
が生まれたかなどの学習をしていただくことを望んでいます。
更新がされていない古いサイトで恐縮ですが、参考にして下さい。
http://www.peace2001.org/gpc/tibet/tibet_set.html
【友人からのメール】
関西テレビの情報系番組「ぶったま!」の4/5(土)の生放送で、僕の故郷、姫路市にある書寫山圓教寺の執事長・大樹玄承氏がチベット
問題に関して仏教者としてメッセージを読み上げました。(2/2)
彼の勇気ある行動に敬意を抱いています。
【生放送で読まれた文章】
今、私たち日本の仏教者の真価が問われています。
チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われる事に、
心から悲しみと止むに止まれぬ抗議を表明せずにはいられません。
私たちはあくまでも宗教者、仏教者として僧侶をはじめとするチベット人の苦しみをもはや黙って見過ごす事ができません。
チベット仏教の宗教的伝統をチベット人の自由な意思で守ると言う事が大切な基本です。皆さんは日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。
日本の各宗派、教団は日中国交回復の後、中国各地でご縁のある寺院の
復興に力を注いできました。私も中国の寺院の復興に携わりました。
しかし中国の寺院との交流は全て北京(政府)を通さずにはできません。
ほとんど自由が無かった。これからもそうだと全国のほとんどの僧侶は
知っています。そして日本の仏教教団がダライ・ラマ法皇と交流する事
を北京(政府)は不快に思う事も知られています。あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると私は考えています。
しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教会に立った動きは見られません。中国仏教会が大切な友人であるなら、ど
うして何も言わない。しないで良いのでしょうか?
ダライ・ラマ法皇を中心に仏教国としての歴史を重ねてきたチベットが、
今無くなろうとしています。私たちは宗教者、仏教者として草の根から声をあげていかなければなりません。
しかし、私の所属する宗派が中国の仏教会関係者から抗議を受けて、私
はお叱りを受ける可能性が高いし、このように申し上げるのは私たちと
行動を共にしましょうという事ではないのです。
それぞれのご住職、壇信徒の皆さんがこれをきっかけに自ら考えていただきたいのです。オリンピックに合わせて中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。
この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。もしも宗教者と
して毅然とした態度で臨めないのならば私たちはこれから、信者さん檀家さんにどのような事を説いて行けるのでしょう。私たちにとってこれが宗教者、仏教者であるための最後の機会かも知れません。
書寫山圓教寺執事長大樹玄承 平成20年4月5日 |