「ここがポル・ポトの墓だ」
カンボジアに行って、一番ショックだったのが、ポル・ポトの墓を見学したことだった。
見て下さい、このみすぼらしいトタン屋根の野焼きのあと。これがあのクメール・ルージュを率いてカンボジアを地獄の底に叩き落とした独裁者、ポルポトの墓だ。
まさかこんな状態で残っているとは予想もしていなかった。もう少し、なんというかな、墓らしい風情のものがあるのだろうと思っていたのだ。だって、歴史的にはポルポトは失脚したわけでもないし。
一同、ポル・ポトの墓の前で騒然となった。バウさんはトタン屋根に叩いて「ばか野郎」と言った。その気持ちわかる。ほんとにバカ野郎だ。「あんたはこんな末路のために、170万人もの人間を殺したのか?」と問いたい。誰でもそういう気持ちになるだろう。
「愚かすぎる。あまりにも愚かすぎる」
だけど、日本に帰って来てから思った。カンボジアはまだ戦争の傷跡がむきだしで、ポル・ポトの墓のように歴史の内臓が一目にさらされている。そこに立ったとき、そのあまりの腐臭に、人はみな吐き気をもよおし、そして権力に翻弄されること、戦いの愚かさに打ちのめされる。
それがカンボジアのすごいところだ。絶対に目をそらすことのできない、愚かで強欲な人間の現実がむき出しのままそこにある。すべての傷跡が「愚かさとは何か」を訴えかけてくる。
でも、日本は違う。広島に行っても、生々しい傷跡も歴史的建物もカモフラージュされ、隠ぺいされている。エグサはなく、そこには国際平和文化都市として再興したご立派で無機質な街があるだけだ。そこから「愚かさ」は臭って来ない。
だから、言葉と知識で「平和」を訴えられても、その思いは空虚に空回りして私のなかに実感として落ちてこない。どうしようもない「愚かな現実」はすでに日本にはない。過去は隠ぺいされ、汚いものは掃除されて、そして、形骸化した言葉だけが、平和を訴え続けている。
ひどく重苦しい。何が愚かなのか、そのことを見せてくれるものが日本には残っていない。それは日本がずっと平和だったという証しだけれど、過去をどう次代に伝えていくかという点においては、私は寄る辺となる何かを見いだせないでいる。
ポルポトの墓の前に立ったときの絶望的ななかに見いだす「戦いは無意味だ」という確信が、広島に立っても得られない。
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ポル・ポトの墓。アンロンベンから北へ12キロ、タイ国境の山奥にある。どんなに権力を持っていても最後は独りぼっち。ほとんど誰も訪れることがないという。(辺りは地雷ベルトで、トラップもいっぱいの場所)
2001/06/15(Fri)22:37:25 |
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