2000年12月31日 今年の米の収穫も終わり、米の価格は少し落ち着いた。今は1キロ800リエルである。だが、昨年の今ごろは1キロ500リエルであったというから、まだ、例年よりはずっと高い。今までは、去年の米が市場にあった。これからが、価格高騰の本番だと思う。 乾季の米を作っているタトーク村の稲は、順調に生育している。乾季には、2週間に1度ほど、ポンプを借りて、遠くの水源からの水を田んぼに補給しなければならない。そのポンプの使用料は1時間2000リエルだ。カンボジアはあまり、稲を育てるのに手をかけない。通常の雨季の耕作の場合、田んぼに行くのは大体10日から14日に一度で、草を取ったり、肥料(人間や家畜のフン)をまいたりする。乾季の稲は、これよりは少し手間が多いようだ。 学生の実家は、洪水で米がぜんぜん取れなかったため、近くの畑でスパイ(市場価格のレポート参照)となすを栽培しはじめた。畑といっても、家庭菜園のような、2畳くらいの広さの規模だ。この野菜の収穫は間近で、全部市場で売れば、スパイとなすを合わせて60000リエル(1600円ぐらい)になるだろう。もちろん、自宅で食べる分も必要なので、全部を売ることはないだろうが、家族全員収穫の日を待ち望んでいる。 洪水レポート 続報終わり |
2000年10月7日 写真ではカメラの調整不備の為、日付が6日になっていますが、実際視察を行ったのは7日です。 「遅かったかな」というのが第一印象だった。今年のカンボジアの大洪水の状況を確認するため、国道6号線を走っている時だった。今年の雨季は例年より水量が多く、洪水が心配される。とは、私が九月初旬にこちらに来た時から聞いていた。 その後、日本語学校の学生から聞いた話では、七十年ぶりの大洪水なのだと言う。一度きちんと状況を知っておいたほうがいいと考えていたところ、十月七日(土)に洪水の現状を見に行くことができた。 シェムリアップの中心部を出たばかりの国道沿いには、住宅や店、学校などがぽつぽつと並んでいる。各住宅の前に小さい田んぼはあるものの、被害があまりなく順調に育っているか、水が引いた後で、水没した稲はもう刈り取られ、まるで田植え以前の田んぼのようになっているかのどちらかだった。 やがて住宅などがまばらになり、田園地帯が広がるようになっても、田んぼの状況は変わらず、刈り取り後か順調かのどちらかで、洪水の一番ひどい状況は終わっているのではないかと思った。 シェムリアップの中心部を出てからバイクで約四十分走ると、また住宅などが増えてきて、隣のポーク市(Poak)の中心である市場が見え、市場から国道を離れ、角を一つ曲がるごとに状況は変わっていった。
訪れたのはポーク市のタトーク村(Tatouk)。 洪水のピークは、九月二十四日前後。ちょうど私が国道沿いまでが水没しているのを見た日だ。村の田んぼは全滅だと言う。ひとまず、彼女の実家へ挨拶に行き、話を聞かせていただいた。 「村に一つしかない井戸のすぐ近くにある彼女(姉一家と兄妹が住む)の家には大人六人子ども二人が暮らしており、洪水の被害が無かった去年は四つの田んぼから約500Kgの収穫があった。
話を聞かせていただいた後、家から五十メートルほど離れたところから、お父さんの手作りだと言う木の小舟に乗せてもらって、実際に水没した田んぼに連れていっていただいた。 船を出した場所も最近まで地面が見えていたところで、そこから、おそらく田んぼへ続く小道だったと思われる狭い水路を通り抜けた。すると、見えたのは、(決しておおげさな表現ではなく)地平線まで水没した田んぼだった。
国道沿いでは、被害が大きかった田んぼも、すっかり洪水の後片づけ(刈り入れ)は済んだかのようにみえたし、順調に育っている稲も全体の四割ぐらいはあったと思うのに、ピーク時から二週間が経過して、まだこの状態なのには驚いた。
少し離れたところにある、彼女の両親が住んでいた家へボートで向かった。 途中には、住民が避難してしまって、空き家になっている家が何軒かあった。その家々の付道は、道はおろか、高床式の家屋の一階部分の5〜60cmのところまで水がきていた。 もともと、収穫期は十一月なので、去年収穫した米はまだ自宅にも、市場にも残っており、今すぐ食料の心配があるわけではないが、今年の収穫が全く望めないまま(つまり、食料も現金収入も入るあてのないまま)来年を迎えるのが非常に危惧される。 また、来年の田植えの時期に(五月下旬から六月初旬)も苗の買い付けに多額の現金支出が必要になってくる。今年の春に彼女の家で田植えのためにかかった費用は約200ドル(22,000円)。人間の食料さえ、大幅な不足が予想されるのに種もみが残るのか、また、苗の買い付け価格がどのぐらい値上がりするのか、想像もつかない。寿命のあまり長くないこの国では(しかも、内戦と言う不幸な歴史もある)、七十年前の大洪水の状況を覚えている人もおらず、村全体が不安に包まれている。 国からの支援はあると思うか?と聞くと「無いと思います。あっても5Kg位を一回くれるだけでしょう。」と言った。庶民の生活で現金が動く事があまり無いこの国では、所得税をはじめとした税金のシステムがほとんどなく、(一部法人税はあるが)財源不足の為、国が福祉に関ることはあまりない。 もちろん、洪水の被害にあったのはこの村だけではない。程度の差こそあれ、国内全域で洪水の被害が起きている。
この大洪水のために、日本の方々に支援を募って、何か送ることができるとするならば、今すぐに支援を送るのではなく、(もちろん、支援を募るのは今から始めていただきたいが)来年五月の苗の買付時期に現金で、10月の収穫期直前で米不足がピークを迎えると思われる時期に現物(米)で、と2度にわけての支援をする事が最良と考える。 今後も、米の市場価格の値上がりなどに気をつけ、随時報告していきたい。 カンボジア シェムリアップ 中石恵子 |